2020年5月27日水曜日

クォーク

クォークとはある種の素粒子のことだ。見つかったのは1970年代のこと。見つかったというのはおかしな表現かもしれない。クォークは陽子や中性子というあらゆる物質の部品のなかに潜んでいるものなので、ずっと前から私たちの目の前にあったわけだ。それでもあえて見つけたというのは、陽子の中をのぞいて見たのが初めてだったということで、するとそれまで気づかなかったものを見つけてしまったというわけだ。

クォークという「概念」を発明したのはマレー・ゲルマン(1929〜2019)、1960年代のことだった。当時見つかっていたいろんな粒子を分類するある種の記号として、クォークは発明された。それが実体だと認識されるのはしばらくあとになる。実のところ、現在でもクォークを実在する素粒子と認めない専門家もいるかもしれない。なにしろ1個のクォークを取り出して実験で観測できたことはこれまで一度もない。そういう意味では、「見つかった」と言ったのは間違いで、痕跡というか状況証拠があるにすぎない。それでもさまざまな実験結果から、理論的に想定されるクォークがそこにあるのはほぼ間違いないので、それをもって私たちはクォークのことを「素粒子」と呼んでいる。

このあたりの事情が、クォークの理解をずいぶん難しいものにしている。実在する何かではあるが、取り出してみることはできない。そういうよくわからない何かの「理論」あるいは「基本法則」とは何だろうか。現在、クォークは「量子色力学」という一つの強固な枠組みで理解されることがわかっている。ある場合には精密計算も可能だ。ところがどんなことでも計算できるかというと、量子色力学の理論は複雑すぎてとても数学的に手に負えず、実のところ計算できることは非常に限られている。ここに素粒子理論と現実との断絶があり、それは(いくらかましになったとは言え)いまも変わっていない。おかげで、素粒子物理学の専門家と言われる人であっても実はとんでもない誤解をしていたり、そもそも全然わかっていないと思われることすらある。

もちろん専門家になるには分厚い本を粘り強く読み進んで全体像を理解する努力は不可欠なのだが、自分のことを振り返ってみても、この本を読んで全体の様子がわかったと思える教科書に出会ったことはない。量子色力学の教科書はいくつもあるが、それはクォークの見せるいろんな側面の一部をカバーしているにすぎない。なぜかというと、量子色力学から出発して教科書に書けるような計算で理解できることが非常に限られているから。全体像を知るにはもっといろんな道具の助けを借りる必要がある。

そういういろんなことを、難しい数学や計算を追うことなく説明することはできるのだろうか。それを試してみたいというのがこの文を書くきっかけだった。ちょっと無理そうな気もするし、きっと行きつ戻りつのとりとめのない話になるだろう。私の性格を反映して。