2020年9月27日日曜日

1つか2つか、それともたくさん?

本稿を書き始めた動機は、K中間子崩壊で測定されたCP対称性の破れを理論的に再現する格子QCD計算について紹介したいということだった。この問題には、格子QCD計算の難しさがあれもこれもすべて詰め込まれている。何がそんなに大変なのかを専門家でない人向けに紹介してみようというわけだ。自分の論文でもないのに数奇な話だと思わないでもないが、そちらはまたいずれ。ところが、この本題に入る前に、K中間子崩壊とCP対称性の破れという現象自体がややこしいので、その説明に紙数を要してしまった(それに実はまだ道半ばだ)。このあたりで、格子QCD計算について必要なところだけでも紹介しておきたい。

クォークと反クォークがグルーオンをやりとりして互いに引力を及ぼし、水素原子のような束縛状態をつくる。それが中間子だ。そういう説明がされることが多いかもしれない。間違いではないのだが、もう少し実際に近いイメージをもっておいたほうがいいだろう。まず、すべては量子力学にしたがうので、クォークもグルーオンも空間に広がった波動関数であらわされる。「素粒子」という言葉からイメージされる粒子ではなく、ぼわっと広がった波を考えるほうがよい。クォークの波と反クォークの波、それにグルーオンの波が重なりあいながら集まった状態、という感じだ。通常の量子力学では、電子をあらわす波動関数がポテンシャルのなかにおかれ、そのときのシュレーディンガー方程式を解けば状態がわかる。電子の場合は、電磁場を通じて周りの影響を受け、また影響を与えるわけだが、電子が十分に重いと考えてよいために電磁場の影響は瞬時に伝わると想定でき、おかげでずいぶん簡単になる。これは質量と結合の強さの兼ね合いで決まっている。結合が弱いときには電子は浅いポテンシャルのなかで大きく広がる。量子力学の原理にしたがって、広がった状態は運動量が小さいことを意味する。質量と比較して運動量が小さいということは速度が遅いわけで、電子は電磁場よりもずっとゆっくり動くわけだ。クォークとグルーオンの場合は、結合が非常に強いせいで、波動関数の広がりが小さく、運動量が大きい。いずれも軽い粒子なのでどちらも光速に近い速度で飛び回ることになるため、両者の波の方程式を連立して解かないといけなくなる。その分、普通の量子力学の問題よりもはるかに難しい話になる。

ただし、これはクォークとグルーオンの運動を解くのが難しい理由の第一ではない。もっと始末に悪いことが、量子色力学という法則のもつ特殊性からあらわれる。それは、力を伝える場としての役割をもつグルーオンが、それ自身も「電荷」をもち、さらに別のグルーオンを引き寄せるという点だ。電磁場のときは、電磁場自身(光のことだ)が電荷をもっているわけではないので、光と光は相互作用を起こさずにすり抜ける。グルーオンはそうではなく、その存在がまた別のグルーオンを作りだして、これがねずみ算的に続いていくことになる。だから、通常の量子力学のような問題設定をすることには無理がある。グルーオンをあらわす波は一つではなく、グルーオンがいくつもあらわれる場合も含めた数多くの波動関数を用意する必要があるためだ。こうなると、むしろ出発点から考え直したほうがよい。実際、そういう理論的枠組みが用意されている。「場の量子論」という理論では、粒子がいくつもあらわれ、生まれたり消えたりする状況を自然に扱うことができる。

場の量子論でも、クォークとグルーオンの波を考えることに違いはない。違うのは、粒子ごとに一つの波動関数を考えるのではなく、むしろあらゆる可能な波を同時に考えるという点だ。そのなかには、粒子が1つの場合も含まれるし、2つや3つの場合、さらにどう数えればいいかわからないような場合もすべて含まれる。これなら、グルーオンが勝手に増えてしまっても問題ない。実のところ、中間子のなかにグルーオンが何個あるのかというのは答えようのない問題で、いろんな場合がすべて重ね合わさって一つの中間子ができていると考えるべきなのだ。

では、場の量子論で、クォークとグルーオンの計算はどうやるのか。次回からそれを少しずつ考えてみたい。

2020年9月26日土曜日

局所戦に持ち込めるか

難しい問題があったら、まずはそれをどこか一か所に押し込めるのが良い作戦だ。そこだけは後で考えることにして、話を先に進めることができる。それができるときは話がすこしすっきりする。できないときは、まだまだ長い話が待っている。

K中間子でCP対称性が破れるやり方について考えてきた。GIM機構を拡張した小林益川理論というのがあって、ボトム・クォークとトップ・クォークが存在することにすれば、理論のなかに複素数の位相を付け加えることができる。K中間子が反粒子と混合するときには、ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わる必要があるが、そういう過程は直接起こるわけではなく、途中にアップ、チャーム、トップ・クォークのどれかを経由することで起こる。GIM機構のときもそうだったが、これらの3つのクォークが同じもの、つまり質量が等しかったら、3つの遷移をあらわす波動関数がちょうど相殺して何も起こらない。自然界ではどういうわけかクォークの質量が異なるので、その差の分だけ余分が残り、これが混合を引き起こす。そして、そこに複素数の位相がからんでいたら、CP対称性の破れにもつながる。

複素位相は、3つめのクォークの組を持ち込んだときに初めてあらわれることを以前紹介した。このことを反映して、CP対称性の破れに特に関係するのは、トップ・クォークを経由する場合ということになる。ストレンジ・クォークがWボソンを放出してトップ・クォークに変わり、もう一度Wボソンを放出してダウン・クォークに変わる。この過程に複素位相があらわれる。あまったWボソンは、反ダウン・クォークがこの逆の過程を経て反ストレンジ・クォークに変わるときに吸収してもらう。これこそが、K中間子の混合でCP対称性が破れる現象の正体だ。

途中にあらわれたトップ・クォークやWボソンは、いずれもK中間子よりもずいぶん重い。100倍以上だ。ということは、これらの粒子は実際に出てくるわけではなく、量子力学の原理にしたがって仮想的にあらわれるだけだ。重い粒子はそれだけエネルギーも大きいので、仮想的とはいえどもごく短時間で消えるはずで、飛ぶ距離も非常に短い。K中間子の大きさの100分の1以下の長さでしかないわけだ。K中間子の中のどこか非常に狭い領域でこういう過程が静かに起こる。これが量子力学の不思議なところだ。

クォークがくっついてできてできているK中間子には大きさがある。陽子や中性子の大きさと同じで、およそ1フェムト・メートル。小さいとはいえ有限の大きさのなかで、クォークとグルーオンがうろうろ、あるいはふわふわしているというのが、そのイメージになる。クォークを結びつけているのは強い力の仕業だ。K中間子の大きさや、そのなかにクォークがどのように分布しているかも含めて、すべては強い力を解いてみればわかるはずだ。ふわふわ漂っているダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが、たまたま同じ点にきたときに、電光石火で上記の過程が起こって、反ダウン・クォーク とストレンジ・クォークに変わる。周囲をとりまくグルーオンは何もなかったかのようにそこにいる。

見てきたようなことを書いたが、これはもちろん単なる想像で、物理学がまともな学問である以上、ちゃんと計算ができないと先に進めない。中間子のなかでふわふわ漂っているダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがたまたま同じ点にくる確率はどれくらいか、それを計算できないと、CP対称性の破れの大きさはわからないわけだ。これは強い力の問題で、これまでに話してきた弱い力とはまた別の話になる。弱い力の性質を理解しようとがんばってきたが、最終的にもっとも難しい問題は強い力だったということになる。

とは言え、われわれはラッキーだった。 いまの場合、難しい問題をK中間子のなかでダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが出会う確率、という一つの問題にしてくくり出すことができたからだ。K中間子のCPの破れの問題は、そこを除けばおおよそ理解できたようだ。この簡単な問題だけは... 。

2020年9月25日金曜日

干渉すると壊れる

南部・小林益川のノーベル賞で沸いた2008年、私みたいなののところにもテレビ局から説明の依頼がきた。小林・益川理論について一般の人が30秒でわかるように説明してください、 と言われて、ディレクターさんに3時間説明した。(数学の)行列を使うのは禁止、複素数もだめ、シュレーディンガー方程式はもちろんだめ。どうすればいいのか。いろんな奥の手を考えたのだが、結局本番では益川先生の話がおもしろすぎて、用意していた説明は全部ボツになった。

ダウン、ストレンジとボトム・クォーク を混ぜるときの係数に複素数が残ってしまい、それがCP対称性の破れの起源になるという話をした。では、これが中性K中間子の崩壊にどのように関わってくるのかが次の問題だ。

すべては量子力学で計算しないといけない。K中間子の波動関数を用意する。それがシュレーディンガー方程式にしたがって時間とともに変化し、ある時刻にパイ中間子2個の状態をあらわす波動関数に移行する。その振幅を計算することになる。「振幅」というが、これも波動関数の話なので複素数になり、その絶対値の2乗を計算すると、その時刻にパイ中間子2個に壊れる確率を与える。複素数の絶対値の2乗であることに注意しよう。この途中で、小林益川理論にしたがって波動関数に複素数の係数がかかってきたとして、最終的にどうなるかというと、絶対値の2乗を取るので複素位相は消えて見えなくなる。現実に測定される量は確率だけなので、これでは元の木阿弥で、何も説明したことにならない。

CP対称性の破れというのは、つくづく意地悪な現象で、GIM機構のときにもそうだったが、普通ならあってもいいはずのものがある事情で相殺して消える。ここでまた一つ、複素数の絶対値の2乗のせいで、あってもよいはずのものが見えなくなってしまった。

問題を避ける鍵は、最終的なパイ中間子2個の状態が、中性K中間子からも、その反粒子の中性反K中間子からも遷移できるものだという特殊性にある。 (以降、面倒なので「中性」というのを省くことにする。)K中間子は、ダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが結びついたもの、その反粒子は反ダウン・クォークとストレンジ・クォークが結びついてできている。いずれも崩壊するときには、(反)ストレンジ・クォークがWボソンを介してアップ・クォークに変化することが引き金になる。このとき、余分に出てきたWボソンは、マイナスの電荷をもっており、ダウン・クォークと反アップ・クォークを生成する。そうすると、中性反K中間子の崩壊で最終的でできるのは、アップ・クォークとその反粒子、ダウン・クォークとその反粒子、という組み合わせになることがわかる。中性K中間子について同じことをやるのは簡単で、すべてに「反」をつければよい。「反」が2個ついたら元にもどることを忘れずに。 最終的な状態は、粒子と反粒子をすべて入れ替えても元にもどることに注意しよう。だからこそ、K中間子とその反粒子のいずれからでも移行できるということになっている。

このことがわかれば、K中間子の崩壊には2通りの道があることがわかる。一つは、K中間子が直接パイ中間子2個に以降する道。 もう一つは、K中間子が一度反K中間子に移行し、その後にパイ中間子2個に以降する道だ。波動関数を計算するときには、両者を計算して足さないといけない。ここでようやく話がつながる。小林益川理論で複素数があらわれるのは、K中間子が反K中間子に変わるところだけだ。そうすると、2つの道をあらわす波動関数のうち、一つだけが余分な複素位相をもつ。この余分な複素位相は、粒子と反粒子をすべて入れ替えたときに逆向きになる。他はすべて元のままで、小林益川理論に起因する複素位相のところだけ逆になるせいで、最終的な確率を計算する絶対値の2乗をとったときに違いがあらわれる。

このように、2つの波動関数を足したときに起こることを干渉という。普通の波と同じで、2つの波の山と谷の重なり具合が変わってくることで、もとの波が強めあったり弱めあったりする。量子力学による効果が顕著にあらわれるところだ。

K中間子におけるCP対称性の破れはこうして起こる。ところが、これでもまだ話は半分も終わっていない。

 



2020年9月24日木曜日

複素数なのだ

なぜ量子力学の波動関数は複素数なんだろうか。数学の群論によれば、数みたいに演算が定義されるものは無数に作れるのに、そのなかでなぜ複素数なんだろう。もしかしてもっと難しい理論を学べばどこかに答えがあるんだろうか。

CP対称性とは、事実上、時間反転対称性のことだ。量子力学で時間を反転したときに法則(シュレーディンガー方程式)が変わらないためにはどうなっていればいいか。本稿では数式を使わないことにしているので説明が難しいのだが、シュレーディンガー方程式では、時間 t の符号を変えると同時に式全体の複素共役を取ると元に戻る。つまり法則が変わらないことになる。ただし、ハミルトニアンの複素共役が元と同じなら。なんだか難しい言い方になってしまった。別の言い方を試みてみよう。量子力学では、時間が経過したときに波動関数の位相が回転する。回転の速さはエネルギーに比例する。時間を逆転させると、位相の回転も逆向きになる。複素数の位相なんだから、複素共役を取ると逆向きの回転は順向きに戻る。こうしてめでたく元に戻った。このための条件は、エネルギーが実数であること。虚数を含むと時間を進めたときに単に回転するのではなく増大するか減少してしまう。CP対称性のための条件は、あらゆる可能なエネルギーの状態が、実数のエネルギーをもつこと、と言い換えてもよい。

CP対称性の破れは、自然界の法則をつかさどるハミルトニアンのなかに複素数が含まれているかどうかを見れば判別できる。通常はそんなところに複素数は出てこない。映画を逆向きに回すと奇妙だが、それは物理法則に反するからではなく、単に見慣れないできごとだからだ。しかし、実際にCP対称性を破る素粒子現象が見つかってしまった。どう考えればいいのだろうか。

もともと素粒子の理論は量子力学でできているので、理論のいろんなところに複素数が出てきていけないわけではない。問題は、ほとんどの場合には気づかないほどに小さい効果なのに、とにかく有限で存在しないといけないということだ。理論に入っているパラメタを小さい値に調整すればいいのかもしれないが、それでは不自然な感じがする。実験に合うように数字を合わせるだけでは何かを理解した気はしない。

小林先生と益川先生が気づいたのは、ワインバーグ・サラム模型を書いてみると、もともと複素数のパラメタがいくつも入っているのだが、それらはすべて理論の中に入っている力学的自由度(場の値のこと)を再定義すれば吸収できてしまうものばかりで、おかげであらゆる実験で測定しても見えないということだった。有名な逸話だが、両先生はこのやり方ではCP対称性の破れは起こらないことを証明する論文を書こうとされたという。ところがあるとき、別のひらめきがあった。クォークの種類を増やせばよい。

これまで出てきたクォークはアップ、ダウン、ストレンジに加えて、GIM機構のために必要なチャーム・クォークだった。これらはダウンとストレンジ、アップとチャームという2種類にグループ化され、ダウンとストレンジは少しまざった上でアップあるいはチャームとWボソンを通じて結合する。では、ここにもう一つずつ別のクォークを加えてみてはどうだろう。ダウンとストレンジに加えてボトム・クォークを含めて一つのグループにする。その中で3種類が混ざった組み合わせを3つ作り、それぞれがアップ、チャーム・クォークと、あと一つ、トップ・クォークに結合するようにするわけだ。

3種類のクォークの混ぜ合わせ方は、単に相対的な比だけではなく、複素数にしてもよい。2種類だけだったときは、せっかく加えた虚数部は、クォーク場の再定義で消えてしまったのだった。ところが3種類のときには、再定義だけでは消えない虚数部が残ることがわかる。非常に雑な数の勘定だけをしてみると、2種類のクォークを混ぜるときに複素数を入れるやり方は3つあるが、場の再定義はダウン、ストレンジとアップ、チャームで別々にできるので、4つもあって消せてしまう一方、3種類のときの複素数の入れ方は6通りあって、6つのクォーク 場で再定義しようとしても1つ残ってしまう。(6つのクォーク場の再定義のうち、1つは全体の位相回転になっていて、消すのに使えないことに注意。ちゃんと数えたい人は教科書を読んでユニタリー群のパラメタ数を調べてみてほしい。)こうして残った1つの虚数部が、CP対称性の破れを起こす種になるわけだ。2x2、3x3 を拡張して NxN という大きな行列を作ってみると、混ぜ方は N の2乗で増えるのに対して、再定義できる場の数は 2N でしか増えないので、数を増やすと消えない虚数が増えてくるわけだ。

長くなってしまった。こうして出てきたたった一つの複素位相。これがどうやってK中間子のCP対称性の破れに結びつくのかは、また次回にしよう。

2020年9月22日火曜日

たとえ小さくてもゼロでない限り

やっぱり深入りしてしまった気がする。一般向けにはややこしすぎるし、大学院生向けにはきちんと式を追って説明しないと役に立たないのに。そう思ってふと思い出したのは、ブルーバックスの南部陽一郎『クォーク』。久しぶりに開いてみたら、なんだ、全部書いてあるじゃん。しかももっと面白い話も。本当に興味のある方は、ぜひそちらを読むことをおすすめします。とは言え、途中でやめるのもあれなので続きを。

Zボソンを通じてストレンジ・クォークがダウン・クォークに遷移する過程は禁止されている。これがGIM機構の帰結だった。でも、ちょっと待って。中性K中間子の粒子・反粒子混合には、まさにこの過程が必要なんだった。どうすればいい? 答えは、「変身チケット」を2度使うこと。ストレンジ・クォークがWボソンを放出してアップ・クォークに変わることはできる。今度はそのアップ・クォークがWボソンを吸収してダウン・クォークに変わってはどうだろう。これなら結果的に、ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わったのと同じことになる。2度の変身が必要なのでそれだけ確率は小さくなるが、それでも可能ではないか。

これでうまくいった気がするが、実は、GIM機構はもっと巧妙にできている。ストレンジ・クォークが一度アップ・クォークに変わってからダウン・クォークに戻る過程は、それと似たチャーム・クォークを経由する過程とちょうど相殺するようにできている。したがってこの過程はやはり起こらない。アップ・クォークとチャーム・クォークが正確に同じものならば。唯一の抜け道は、アップ・クォークとチャーム・クォークの質量の違いだ。両者の質量が等しければ2つの過程は正確に相殺するのだが、質量が異なる分だけ余分があってもよい。チャーム・クォークの質量は 1 GeV 以上あって、アップ・クォークの 5 MeV 程度と比較すると200倍も大きい。この違いが小さいながらも有限の差を生む。それが中性K中間子の混合を生むわけだ。

こうして起こる中性K中間子の混合の強さを、実際に計算して精密に予言することは、実は非常に難しい。おおよそのストーリーは以上の通りなのだが、実際の計算では、クォークに常にまとわりつくいくつものグルーオンのことを含めないといけない。それらが集まって最終的にパイ中間子2個の状態やその他のいろんな状態が作られるのだが、量子力学の原理にしたがって仮想的に現れるそういういろんな状態をすべて計算して足さないといけないので、この計算は非常に難しい。それこそ格子QCDシミュレーションを使わないとどうにもならない。それどころか、格子QCD計算にとってもかなりの難問になる。これについては後日。

ともあれ、K中間子混合が起こることはわかった。正確にはわからないがゼロではない。だが、これで一安心、K中間子の崩壊にみるCP対称性の破れが説明できた、というわけではない。粒子と反粒子の混合が起こることはわかったが、それとCP対称性の破れはまた別の話だからだ。たとえCP対称性が破れていなくてもK中間子の混合は起こって、寿命の短いKショートと寿命の長いKロングに分離する。ただし、このままでは(CP-)のKロングが(CP+)のパイ中間子2個に崩壊することは決して起こらない。問題はまだここからなのだ。

2020年9月21日月曜日

裏の世界と行ったり来たり

滑車の問題がきらいだった。いくつもの滑車を組み合わせて、なかにはぶら下げたりして複雑な問題を作った人はきっと意地悪なんだと思う。ややこしいだけで、本質を理解する役には立たない。 大学に入ってからラグランジアンを使う方法を知って、すべてが簡単になったので感激した。ラグランジアンを使うとあまりにすっきりするので、理論物理学者はあらゆる理論をラグランジアンを書くところから始めるのが普通になっている。ラグランジアンさえ書いてあれば、決まった手続きにしたがって運動方程式や保存量などがわかる。あとは何でもできるでしょ、というわけだ。だが、それだけでは現象を理解することにはならない。何が実際に起こるかは、その帰結をきちんと調べてみないとわからないのだ。

粒子と反粒子が入れ替わる過程の話をするんだった。中性K中間子には、ダウン・クォーク+反ストレンジ・クォークでできたものと、その反粒子、つまり反ダウン・クォークとストレンジ・クォークでできたものがある。この間を行き来するには、弱い力の「変身チケット」を使えばよい。ちょっと考えてみよう。クォークが反クォークに変わることはできないので、この過程が起こるには、ダウン・クォークがストレンジ・クォークに、そして同時に反ストレンジ・クォークが反ダウン・クォークに変わってくれればよい。こういう反応を起こす変身チケットはあるだろうか? 実はそれらしいものがある。変身チケットには、Wボソンの放出・吸収をともなうものの他に、中性のZボソンを出し入れするものもある。グラショウ・ワインバーグ・サラム模型という理論では、Wボソンだけは閉じた理論ができず、それに似た中性のZボソンが必要になるからだ。

前回、Wボソンとつながっているのはダウン・クォークとストレンジ・クォークをある割合で混ぜたものだという話をした。グラショウ・ワインバーグ・サラムの理論が正しいなら、Zボソンもこれと同じ混ざった状態に結びついているはずだ。この混合状態を分解してみると、確かにダウン・クォークがストレンジ・クォークに変わるチケットが含まれている。なるほど。Zボソンを介してダウンをストレンジに、反ストレンジを反ダウンに変えることで、中性K中間子の粒子・反粒子混合が起きるわけか。

うまくいっているように思えるこの考察は、残念ながら間違っている。このままだとK中間子混合が起きすぎるのだ。それだけではない。ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わる変身チケットはゼロではないかもしれないが、極めてレアでないといろんな実験結果と矛盾してしまうので、これをそのまま受け入れるわけにいかない。この問題は次のように解決された。ダウン・クォークとストレンジ・クォークをカビボ角の分だけまぜたものがWボソンやZボソンと結びついているという話はした。これと同時に、別のやり方で、つまりカビボ角とは直交する角度で混ぜた状態もWボソンやZボソンと結びついていると考える。そう考えた上で分解してみると、ストレンジ・クォークがZボソンを介してダウン・クォークに変わる過程はちょうど相殺することがわかる。つまりそんな変身チケットは存在しない。こうして、実験結果と矛盾しない理論ができあがることになる。

この仕組みを提唱したグラショウ・イリオプロス・マイアニの頭文字をとってGIM機構と名付けられたこの理論は、実験結果を説明できるだけでなく、一つの重要な帰結をもつ。ダウン・クォークとストレンジ・クォークをカビボ角とは直交した角度で混ぜた状態は、Wボソンを介してアップ・クォークと結びつくわけにはいかない。それだとせっかくのカビボの理論が台無しになってしまう。それなら、アップ・クォークではない別の何かに結びつくことにしておけばいいではないか。それをチャーム・クォークと呼ぶことにしよう。当時はまだ知られていなかったチャーム・クォークは、こうしてその存在が「予言」された。だが、唯一の理論だったわけではなく、数ある可能性の一つという位置付けであった。実際にチャーム・クォークが発見されたのはしばらくあとの話だ。

2020年9月20日日曜日

ハンカチをハトに変えます 〜 素粒子のマジック

弱い相互作用(弱い力)の存在が、素粒子物理をややこしくしている最大の原因であると言ってもよい。まず、パリティが破れている。粒子の種類が変わる。現実の粒子と相互作用を感じる粒子がねじれている。電磁気力とからまっている。対称性の破れで質量ゼロのはずのものが有限になっている。ヒッグスという異分子がいる。そしてもちろん、組み上げてみるとCP対称性が破れる。どうだろう。ややこしいと思っていただけるのではないだろうか。ただ、ややこしいというのは、込み入っているというだけで、落ち着いて一つずつステップを踏めば何でも計算できるので、難しいわけではない。本当に難しいのは強い相互作用(強い力)のほうで、法則は単純なのだが、世界トップの頭脳が何十人も、何十年かけても計算できるようにはならなかった。彼らは問題をより簡単な問題にすりかえた上で解けたことを自慢したりするが、実際の問題を解く上では何の役にも立っていない。

弱い力は、「力」というよりも「変身チケット」と思った方がイメージしやすいかもしれない。ダウン・クォークは、Wボソンを吐き出すか吸うかすることで、アップ・クォークに変わることができる。逆もありで、アップ・クォークもWボソンを仲介としてダウン・クォークに変わる。ただし、実際の過程ではエネルギー保存則を満たさないといけないので、アップ・クォークよりも少しだけ重いダウン・クォークはアップ・クォークに遷移できるが、逆は起こらない。こういうのをベータ崩壊と言い、中性子が陽子に変わる現象のことを指す。このとき、吐き出したWボソンの面倒を見てあげないといけないのだが、この場合はWボソンが電子とニュートリノの組みに変わることでつじつまを合わせる。Wボソンはずいぶん重いので、そもそもベータ崩壊のなかでは現れようがないはずなのだが、そこは量子論なので遷移の途中に起こるいろんな状態が(たとえエネルギー保存則を満たさなくても)重ね合わさった状態が現実になる。途中にWボソンが現れる過程は非常に小さくなるが、そのせいで弱い力は弱い。この「変身チケット」はレアなので、なかなか発動せず、中性子のベータ崩壊は10分ほどもかかってしまう。中性子の半減期のことだ。

ストレンジ・クォークというちょっと変なクォークがある。ダウン・クォークの親戚で、いろんな性質が似ているのだが、質量が20倍ほどあるところが大きな違いだ。ダウン・クォークをストレンジ・クォークに置き換えたいろんな粒子はすべて測定されている。それに加えて、ダウン・クォークと(反)ストレンジ・クォークでできた粒子もある。本稿の主役はこの中性K中間子だ。

ストレンジ・クォークも、ベータ崩壊と同様にWボソンを出してアップ・クォークに変わることができる。ただ不思議なことに、ここで働く弱い力の変身チケットはダウン・クォークに働くものよりもさらに弱い。おかげで、ストレンジ・クォークを含む粒子は全般に寿命が長く、測定器のなかで飛跡を残すことができる。ダウン・クォークと似た性質があるのに、変身チケットがレアなのは、こう理解されている。実は、弱い力の変身チケットでアップ・クォークと結びついているのは、ダウン・クォークとストレンジ・クォークをあるやり方で重ね合わせたもので、その割合はダウン・クォークのほうがずっと多く、ストレンジ・クォークが少しだけになっているのだ。同じことを別の言い方であらわしてみよう。ダウン・クォーク成分をX軸に、ストレンジ・クォーク成分をY軸に取ってみる。この平面の中で、アップ・クォークとつながっているのは、X軸から13度だけ傾いた組み合わせだ。ほとんどダウン・クォークだけなのだが、ストレンジ・クォークも少しだけ混ざっている。変身チケットは不公平にできているらしい。

この13度という角度には名前がついていて、カビボ角という。これを拡張したものを小林・益川行列というのだが、それはまた後日にしよう。

2020年9月19日土曜日

命名「ゾンビ粒子」〜 中性K中間子

宇宙には粒子ばかりで反粒子が見つからない。それはなぜか。未解決の大きな謎だ。そういう話を聞くことがある。その前提には、粒子が反粒子に勝手に変わることはなく、反対に反粒子が粒子に変わることはないという法則がある。実際、これは非常によい精度で確認されているいて、ゾンビではあるまいし、目の前の粒子がいつの間にか反粒子に変わってしまうことはない。中性K中間子という例外を除いては。

中性K中間子は、ダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがくっついてできている粒子のことだ。この粒子には反粒子が存在する(中性反K中間子)。それぞれのクォークをその反粒子に取り替えたもので、反ダウン・クォークとストレンジ・クォークをくっつけたものだ。いずれも電荷をもっていない(つまり中性)粒子なので、ただ見ていても区別はつかないのだが、崩壊してできた粒子を見れば判別できるときもある。中性K中間子で驚くべきことは、粒子と反粒子が量子力学でいう波動関数の「重ね合わせ」にしたがって重なりあっていることだ。重ね合わさった状態は、ある瞬間にどちらが実現するのかを言うことはできない。重なった状態こそが物理的な「実在」ということになる。中性K中間子の場合には、元の状態をあらわす波動関数と反粒子の状態をあらわす波動関数を足した(1対1で重ね合わせた)ものが一つ、両者を引いた(1対マイナス1で重ね合わせた)ものが一つ、という2つの状態が実現する。一方は寿命が短く、1センチメートルほど走ってすぐに壊れてしまう(「Kショート」と呼ばれる)。もう一方は寿命が長く、何十メートルも飛ぶことができる(「Kロング」と呼ばれる)。

粒子と反粒子を取り換えたときに状態がどう変わるかをあらわすために、両者を入れ替える変換を CP 変換と呼ぶことにしよう。反粒子は、時間を逆に進む粒子と考えることもできるので、CP 変換は時間反転に相当する。実は、さきほど登場した Kショートと Kロングは、この CP 変換をしたときに、波動関数の符号が変わらないもの(CP+) と符号が変わるもの (CP−)、と理解できる。Kショートはパイ中間子2個に壊れるが、Kロングはパイ中間子3個に壊れる。これは、パイ中間子2個の状態が CP+ であり、パイ中間子3個だと CP− であることに由来する。元の中性K中間子の質量が同じなら、パイ中間子2個に壊れたほうが生成できる運動量が大きくなり、その分崩壊しやすくなる。だからすぐに崩壊する。つまりKショートだ。実験では中性K中間子を同時に数多く生成するが、Kショートはすぐに壊れてなくなってしまい、遠くまで飛ぶのはKロングだけになる。

さて、本題はここからだ。遠くまで飛んで出てきたKロングをもう少し詳しく見てみると、わずかだがパイ中間子2個に壊れるものがある。500個のうち1つくらい。Kロングは CP− のはずだ。一方で、パイ中間子2個の状態は CP+ のはず。CP が変わったのか。これが有名なクローニンとフィッチの実験で、1964年のことだ。

CP対称性というのは、時間の流れる向きを逆にしたときに物理法則が同じかどうかを表すものだ。力学の法則や電磁気学の法則もそうだが、物理法則は CP 変換をしても変わらないと思われていたが、この実験結果はそれを壊しているように見える。CP対称性は破れている。これはどうしたことか。

 

2020年9月18日金曜日

素粒子物理学最大の難問

そもそも本稿を始めようと思ったときの目標は、クォークの性質について大学生くらいを対象にできるだけ噛み砕いて、かつ正しく伝えるということだった。量子力学の初歩から始めて少しずつ階段を上るようにクォークへの理解を深めていくというつもりだったのだが、ずっとさぼっていたせいで、むしろ一番難しいところから始めることになってしまった。そういうわけで、以下はむしろ大学院生向けかもしれない。

 

アメリカの友人たちによる記念碑的な論文が出版された。https://doi.org/10.1103/PhysRevD.102.054509 K中間子の崩壊で測定されたCP対称性の破れを理論的に計算することに成功した。これを「記念碑的」と呼ぶのには理由がある。直接的CPの破れと呼ばれるこの量が、Fermilab の KTeV と CERN の NA48 実験的に確認されたのは2000年前後のことなのでもう20年前のことだが、その後この測定が素粒子標準模型の基本パラメタの決定に活かされることはなかった。理論的計算が難しすぎて基本パラメタとの関係がまったくわからず、どうにもならなかったのだ。直接的CPの破れがゼロではないということはわかったが、素粒子模型の理解という点ではほとんど役に立たない実験結果として20年が過ぎた。その状況がこの計算により初めて覆り、素粒子標準模型を検証する一群の測定の一つに数えられることになった。

では、この何が難しかったのか。理由はいくつもある。K中間子が2つのパイ中間子に崩壊する過程を理解するには、弱い相互作用(弱い力)で起こるクォークの遷移に加えて、強い相互作用(強い力)が支配する中間子のダイナミクスを理解する必要がある。しかも、強い力の場の量子論としての性質が強く現れた崩壊過程であるために、素朴なクォーク模型はもちろん、カイラル有効理論や、その他の人為的な模型による計算はことごとくうまくいかなかった。弱い力と強い力の交差点で、難しさが何重にも折り重なった量。それが、K中間子の直接的CPの破れだ。

強い力は高エネルギーの粒子散乱実験では力が弱くなって理論的に扱いやすくなる。一方、K中間子の崩壊のような低いエネルギーではファインマン・ダイヤグラムを使った摂動計算が使えなくなるために、信頼できる理論的計算の手段は限られ、格子量子色力学(格子QCD)という理論のシミュレーションが、散乱や崩壊を計算する唯一の方法となる。格子QCD計算のなかでもK中間子崩壊の計算は飛び切りの難問としてこれまで我々の前に立ちふさがってきた。どこが問題なのか、いくつかあげてみよう。

  • 格子理論が苦手とするカイラル対称性が本質的に重要な量である。カイラル対称性を持たない理論を使うと、弱い相互作用から出てくる演算子が他の演算子と量子効果によって混ざってしまい、欲しい量だけを取り出すことが困難になる。 
  • 終状態が2つのパイ中間子からなる状態である。格子QCD計算で、2つのパイ中間子を用意すること自体はできる。ところが、2つのパイ中間子の相対的運動量を決まったものに固定することが難しい。これは、本質的には格子計算はユークリッド化した空間上で行わざるを得ないことに起因する。格子上ではエネルギー保存則が「成り立たない」。どうやって必要なものだけを取り出すのか。
  • もう一つ、格子理論が(虚時間をもつ)ユークリッド空間での計算であることからくる問題として、散乱の振幅を直接は計算できないということがある。ユークリッド空間ではいくら計算しても実数しか出てこない。実空間での散乱振幅(散乱の位相差といってもいい)をどうやって読み取るのか。
  • 格子QCD計算がもっとも苦手とするのは、クォークと反クォークが対消滅できるような状態である。2つのパイ中間子からなる状態は、すべてのクォークと反クォークが対消滅して消えてしまうような成分が含まれており、実はこれが本質的な役割を果たす。格子QCDのモンテカルロ・シミュレーションでは、こういう状態の統計誤差が大きくなってしまって信号が見えなくなる。

これらの問題を克服した結果が上記の論文に結実している。「記念碑的」な研究と紹介したのにはそういう意味もある。上記の論文の著者の一人でもっともシニアな研究者の Soni 博士は、こういう計算を目指して30年以上も前から研究に取り組んできた。Christ 博士は、格子QCD計算のために計算機開発にまで取り組んできた先駆け的存在だ。非常に強力なメンバーとともに情熱を失うことなく長年にわたって研究を続けてきた結果がここにある。そういう意味でも感動するような成果だと思う。

次回から数回にわたって、これがどういう問題なのか、どのように解決されたのかを紹介してみたい。残念ながらこれらは大学生向けというより大学院生向けになってしまうかもしれない。