2021年2月23日火曜日

アノマリーとトポロジー、そして真空

アティア・シンガーの指数定理というのは、ゲージ場がもつ空間の巻きつき数(トポロジー)と、それを背景として存在するフェルミオンのゼロエネルギー波動関数の個数に関係がつくという奇想天外な数学的定理で、どうしてそんなことを思いついたのか見当もつかない。実際、数学の解説書をパラパラ眺めてみても、奇怪な言葉が並んでいるばかりでとても理解できそうもないので早々に退散した。物理学のほうで学ぶ場の量子論の教科書にもこの定理のことは必ず出てくるが、その証明やら導出やらが書かれたものにお目にかかったことがない。そこで、とりあえず結果だけを知ってわかったことにする。きっとこのあたりが平均的な物理学者の姿ではないだろうか。私の場合は、量子色力学のシミュレーションでこの定理の帰結を何度も確認してその度に感嘆したりしているので、平均より一歩進んでいると言えなくもない。全然自慢になってないが。

ゲージ場の量子論にはアノマリー(量子異常)という不思議な性質があって、普段は変わらないはずのフェルミオンの回転の向き(カイラリティとも呼ばれる)が、特殊な背景ゲージ場をもってくると変わりうるという話をした。前回のことだ。この「特殊な」というのがミソで、これがトポロジーと関係している。量子色力学では「空間に巻きつく」ようなグルーオン場が存在していて、それがパイ中間子が軽くなる仕組みと関係している、という話があったのを覚えておられるだろうか。実はこのときの「巻きついた」背景グルーオン場、これこそがアノマリーが関係する「特殊な」背景場に他ならない。こういうのをインスタントンと呼んでいて、ある大きさをもつボールのようなものだと想像してもらえればいいだろう。インスタントンは空間への巻きつき回数に応じて ±1, ±2 などと数えることができる。そういうのが量子論の原理に応じて空間中で生まれたり消えたりを繰り返している。

インスタントンが背景にいるとき、そこを走り抜けるクォークは回転の向きを変える。右巻きのクォークが左巻きに変わったりするわけだ。より正確に言うと、インスタントン背景場のもとでは、右巻きクォークが取りうる波動関数と左巻きの取りうる波動関数の数が一致しなくなる。右巻きと左巻きの数の差は、ちょうどインスタントンの巻きつき数と等しくなる。これがアティア・シンガーの指数定理だ。なぜそうなるのか、最初に白状したように、私は結局導出を理解できなかったのでここでその本質を語ることはできない。ただ、具体的な関数形を与えて計算してみることはできる。数学的な定理のえらいところは、こういう具体形を与えなくても「必ず」成り立つことを保証してくれることで、インスタントンがさらに量子ゆらぎが加わってめちゃくちゃになったようなグルーオン場であっても定理はそのまま成り立つ。だから絶対に正しいと安心していられるわけだ。

空間のあちこちで生まれては消えるインスタントン。それがあるたびにクォークは回転の向きを変える。これこそが、クォークが実質的に質量をもつことになる仕組みであり、同時にパイ中間子が逆に軽くなることの理由でもある。魔法のようなこの性質が、質量生成の仕組みの背後に隠れている。その中心にあるのがアノマリーと指数定理。高度に発達した数学によって自然界の、いや真空の仕組みが理解される。驚くべきことではないだろうか。

トポロジーといえば、トポロジカル絶縁体、あるいはトポロジカル物質、というのが物性方面では一つの流行になっていると聞く。全体としては絶縁体だが、その表面だけに金属のように電気を流すような電子状態が存在する。トポロジーと呼んでいるのは、3次元のかたまりの表面とか、2次元面のふちがつくる形に対応した状態ができるせいで、確かに連続変形によって変わらないというトポロジーの性質をもっている。ただ、私には量子色力学のもつ奥深さには到底及ばない気がする。まあ身びいきというものであろう。

2021年2月20日土曜日

アノマリーと右巻き・左巻き

もう少しアノマリー(量子異常)について考えてみたい。

量子電磁力学(QED)には、電荷の保存という際立った性質がある。電子がもつ電荷は、電子が飛んでいる間に増えたり減ったりしない。唯一の例外は、反粒子(つまり陽電子)と出会ったときで、電子と陽電子は対消滅して消えてしまう。これとて、電子の電荷を−Q、陽電子の電荷を+Qと呼ぶことにしておけば、両者を足したもの −Q +Q = 0 は変わらないので、電荷の保存はやはり成り立っている。何をあたりまえのことを、と思われるだろうか。ちょっと違う量を考えるとあたりまえでなくなる。右巻きの電子の数から左巻きの電子の数を引いた数を考えてみよう。電子の走る進行方向に対して、電子の自転(スピンともいう)がどちら向きかを考えると右巻きと左巻きに分けることができるので、その差はどうなるかという問題になる。ちなみに和のほうは電子の数なので、電荷と同じで保存する。さて、右巻きと左巻きの数の差だが、これは電子が質量をもっていると保存しない。質量とは右巻きを左巻きに、左巻きを右巻きに入れ替える効果のことなので、これは仕方ない。では、質量ゼロの電子を考えてみよう。右巻きと左巻きの差は保存するだろうか。

そもそも電磁相互作用には、電子の自転の向きを変えないという性質がある。電子がクーロン相互作用で他の電荷から力を受けても、右巻きは右巻きのまま、左巻きは左巻きのままにとどまる。そういう意味で、右巻きと左巻きの差はやはり保存する。ちょうど電荷の保存と同じことで、もし電子の質量がゼロなら右巻きと左巻きはあたかも別々の粒子であるかのように、それぞれの数が保存することになる。ただし、アノマリーさえなければ。

ここに前回紹介したアノマリーが登場する。電子を、ある特別な電場と磁場のなかに置いてやると、アノマリーのおかげで右巻きが左巻きに移ることがある。これは量子効果であって、通常の電磁気学(マックスウェル方程式)のままでは起こらない。量子化したときに発散を取り除く操作をしたときに出てくるのがアノマリーだが、それが電子の回転する向きを変えることになる。これは角運動量を変えることになるので、背景の電磁場がその角運動量を供給してくれないといけない。こういうことが起こるのは電場と磁場が並行にそろったような特別な場合なのだが、それは細かい話だろう。覚えておくべきことは、アノマリーは右巻きと左巻きを混ぜるということだ。

ここで、「あれ? 右と左を混ぜるということは、質量を与える効果と同じじゃない?」と思った読者は非常に鋭い。QED の真空には背景電磁場は何もないので、アノマリーを通じて真空中で何かが起こるわけではない。一方、クォークが関係する量子色力学(QCD)では話が違ってくる。以前にも紹介したように、真空中はQCDのゲージ場(グルーオン場)で沸きたっている。グルーオン場は、電磁気学での電磁場に相当するものなので、要は真空中に電磁場みたいなものがいっぱい沸きたっているということになる。その中にはアノマリーに効くような特殊なものもあるので、ちょうどそういうグルーオン場に遭遇したクォークは、右巻きから左巻きに、あるいは左巻きから右巻きに変わることができる。これは、クォークに質量が生まれたのと同じことだ。つまり、クォークはアノマリーを通じて質量を獲得できる。そして、この「特殊な」グルーオン場というのが、実は以前にも紹介した「インスタントン」というやつだ。

クォークが質量をもつことと、η’粒子が大きな質量をもつことは、似ているようで異なる。 一方は、クォークの右巻きと左向きが入れ替わる話なのに対して、もう一方は、クォークが反クォークとペアになって消えてしまい、グルーオン場だけが残ったような何かだからだ。いずれにしてもQCDのゲージ場の存在、しかもインスタントンという特殊なグルーオン場が鍵を握ることになる。

2021年2月6日土曜日

アノマリーの異常な世界

アノマリー(=異常)という名前がよくないんだと思う。場の量子論を最初に学んだときには、それがどれだけ重要なのかピンときていなかった。なんかうまくいかないことでもあるんだろうな、まあ後でもいいか、そんな感じで素通りしてしまった。ほんとうは場の量子論のもっとも奥深い部分だと言ってもいいのかもしれない。いまもアノマリーに関係する、あるいはアノマリーを使う理論研究が次々と出てくる。正直に言うと、私は全然ついていけていないし、いまでもアノマリーの本当の意味をわかっていないんだと思う。とは言え、ここを避けて通るわけにもいかない。説明を試みてみよう。(アノマリーにもいろいろあるが、ここではいわゆる軸性アノマリーのことを指す。)

η’(エータ・プライム)中間子がパイ中間子よりもずいぶん重い、その理由には量子異常が深くかかわっている。量子異常とは、理論がもともと持っている対称性が「量子化」によって壊れてしまうこと。対称性とは、いまの場合、右巻きのクォークと左巻きのクォークを、それぞれ逆向きに位相回転する変換によるものを考える。クォークの質量というのは、右巻きと左巻きを混ぜる度合いのことを言うので、もしクォークの質量がゼロならクォーク場が満たすべき方程式は、この位相回転をおこなっても形が変わらない。この対称性が自発的に破れるかどうかが、クォークが勝手に質量をもつようになるかどうか、そしてさらにパイ中間子やエータ・プライム中間子が軽くなるかどうかを決めることになる。

「クォーク場が満たすべき方程式」と言った。ただし、量子論では方程式がすべてではない。量子化とはゆらぎを取り入れること。クォーク場も方程式にしたがって動くだけでなく、いろんな揺らぎを含むありとあらゆる可能性をすべて波動関数のなかに取り入れることになる。ここに発散という新たな問題があらわれる。場のゆらぎを波の波長で表現することにしよう。波長の長いゆらぎから、波長の短いものまでいろんなゆらぎを取り入れることになるが、空間には「最小の単位」というものはないので、ゆらぎの波長にも最小のものはなく、どこまでも短い波長のゆらぎが加わることになる。これをすべて加えていくと発散してしまうので、どうにかするために「くりこみ」が登場する。雑な言い方をすると、波長の短いゆらぎを足すのをどこかでやめるということだ。空間に最小の単位を設定してそれより短い波長の波は考えず、その範囲内で何とかする。そういう話だ。ところが、ここで問題が起こる。量子化によるゆらぎを取り入れつつ右巻きと左巻きのクォークに逆の位相回転を加えると、余計なものが生まれてしまうのだ。

余計なものとは何だろうか。ここから話がややこしくなる。ある波長より短い量子ゆらぎを取り入れるのをやめると言った。これを右巻きと左巻きのそれぞれについて、同じように適用する。自然界に右と左の区別はないので、ゆらぎを取り入れるモード(異なる波長をもつ波)の数は右も左も同じになるはずだ。ここに問題がある。もしこのクォーク場の背景に電場と磁場が加わっていたとしよう。磁場があると右回りと左回りの電流が異なるふるまいをすることからもわかるとおり、磁場がある空間には右と左の区別が生じる。このとき、クォークの右巻きモードと左巻きモードは、異なるエネルギーをもつことになる。別の言い方をすると、ゆらぎを取り入れる波長の限界を元と同じにしておくと、存在するモード数が右巻きと左巻きで異なってくる。おかげで、もともとあると思っていた右と左の間の対称性が壊れてしまうことになる。それをあらわす部分をもともとあった方程式に付け加えないといけない。これがアノマリーだ。

ごく短距離での量子化の切り捨て方の違いなんて大したことではないと思われるかもしれない。ところが、これには現実的な意味がある。中性パイ中間子はほとんどが光子2個に崩壊するが、この崩壊はアノマリーがあるからこそ起こる。ごく短距離での理論の変形が、低エネルギー(あるいは長距離)での物理現象に実際に寄与する。これがアノマリーの不思議なところだ。

電場と磁場があるとき、と言ったが、これと同じことは量子色力学のグルーオンがつくる色電場、色磁場に置き換えても成り立つ。η’中間子は、光子2個に壊れるのではなくグルーオンの色電場・色磁場に化けることで質量をもつ。そういうストーリーだ。