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2021年3月19日金曜日

一念岩をも通す

このシリーズを書き始めたのは、アメリカの友人たちがついにK中間子崩壊での直接的CPの破れの格子QCD計算に成功させたのに、何というか少し感動したからだった。研究者というのは勝手なもので、たいてい自分の研究が一番だと思っていて、他の誰かの研究のことは何かとけなしたりするものだ。少し感心することはあっても、感動することはめったにない。私が感動、と言ったのは、単にこの研究が優れているためだけではない。この研究がもう30年以上にもわたる努力の結晶だったからだ。

格子QCDが理論として提案されたのは1970年代のこと、量子色力学(QCD)が出てきてまだ間もないころだった。結合定数を強くなる極限での計算ができたことで、クォークの閉じこめを説明できる可能性がでてきた。だがこのままでは現実世界の計算にはならない。本格的な計算にはシミュレーションが不可欠、ということで初期のシミュレーションが出てきたのが1980年代前半だった。すべてをまともに計算するには膨大な計算量が必要になるため、さまざまな近似をしてようやくそれらしい計算ができる。クォークは確かに閉じこめられるらしい。それが初期の成果だった。そうなると、もっといろんなものが計算できるのではないか夢をえがく。パイ中間子の質量とか陽子の質量とか、試しに計算してみるとそれらしい数字が出てくる。これはいい。1980年代の終わりころのことだ。

ブルックヘブン国立研究所やコロンビア大を中心とする研究者らが、 K中間子崩壊の本格的な計算をしてみたいと思ったのはこのころではなかったか。ブルックヘブンこそ、CP対称性の破れが実験で見つかった総本山みたいなところだ。エキサイティングな進展を目の当たりにしてきた理論家らがその計算をしてみたいと思ったのも無理はない。ところが、そこには乗り越えなければならない問題が山ほどあった。ここで改めて問題点をあげてみよう。そして、それらがどうやって克服されてきたのかも見ていくことにする。

  1. カイラル対称性が必要。カイラル対称性とは、フェルミオンの右巻きと左巻きを区別する対称性のこと。これが重要なのは、弱い力が左巻きにしか働かないようにできているためだ。理論計算の途中でもカイラル対称性をきちんと満たしておかないと、左巻きが勝手に右巻きに変わることがあって、本当は起こり得ない現象が起こったり、結果が何倍も間違ったりする。格子理論でカイラル対称性を保つのは非常にやっかいな理論的な問題で、アノマリーとも関係する。これを解決したのがドメインウォール・フェルミオンという理論の発明で、いまはやりのトポロジカル絶縁体のようなものだ。これが出てきたのが1990年代のこと。本格的にシミュレーションが行われるようになったのは2000年代からだ。ただし、ドメインウォール・フェルミオンでは、5次元空間の4次元表面を用いる。次元の一つ高い空間を扱うために、その分、計算量が数倍余計にかかることになる。
  2. 弱い力をあらわす法則を格子上で精密に表現すべし。弱い力は、Wボソンの交換を通じて起こる。Wボソンは非常に重いので、格子QCD計算でそのまま扱うことはできず、低エネルギーでの有効理論を使うことになる。量子論というのはやっかいなもので、勝手な理論を作るといろんな発散が出てきて手に負えない。発散が起こらないようにするには、有効理論を「正しい」理論と比較して同じ結果を与えるようにパラメタを調整しておかないといけない。こういうのを広い意味で「くりこみ」と呼ぶのだが、これを K中間子崩壊にかかわる有効理論について計算しておかないといけない。「正しい」理論としては摂動計算を使うが、摂動計算と格子計算の両方が使えるような基準量を考えるのがチャレンジとなる。これも2000年代を通じて大きな開発項目になった。
  3. 終状態はパイ中間子2個。これを扱うには、2個の粒子を有限体積に閉じこめたときに出てくる波動関数の位相差を見る必要がある。2粒子間の位相差をエネルギーの微妙な変化から読み取る理論的な枠組みがでてきたのは1990年ころ。数年後には、K中間子崩壊の計算につなげる枠組みも出てきた。ただし、やはり計算量が非常に大きくなるためにすぐには本格的な計算はできなかった。
  4. フェルミオンの対生成・対消滅を取り入れる。これがとても大変で、これをどうにかすべく、分野全体が2000年代をかけて悪戦苦闘した。何が大変かというと、フェルミオンの満たすべき性質であるパウリの排他律を満たそうとすると、ゲージ場の局所的な変化の影響が全空間に及んでしまうことだ。格子QCDシミュレーションでは、モンテカルロ法にしたがってゲージ場のサンプルを生成するが、そのサンプルをごくわずか更新しただけでも格子体積全体の影響を調べて反映させる必要がある。これが大変な計算量になるため、現実的な計算を実現するには様々な改善が必要だった。特に軽いクォークは空間的に遠くまで容易に影響するため大変な計算になる。この問題は、短距離、中距離、遠距離の影響を別々に扱うことで全体で効率的な計算が可能になった。
  5. 速い計算機を作る。膨大な計算が必要なら、そのための計算機を作ってしまえばよい。買ってきた計算機よりも何倍も速いものができるなら、やってみる価値がある。これは単純なアイデアで可能になる。4次元空間をあらわす格子をサイコロ状に切り、それぞれを別の計算機に計算させる。隣の情報が必要になったときにはデータを通信してやりとりすればよい。先進的な並列計算機は格子QCD計算から生まれた。筑波大のPACSシリーズもその一つだ。アメリカではコロンビア大のQCDOCが有名で、その後のIBM BlueGeneシリーズにつながった。1990年代には QCD に起源をもつマシンがスパコンの世界をリードし、こうした並列計算機が普通になって現在の富岳にまでつながっている。
  6. いよいよ現実に。2010年代になって、格子QCD計算は現実に近づいてきた。クォークを軽くするのが大変だったが、アルゴリズムの改善と計算機の高速化で克服された。現実のアップクォーク、ダウンクォークのシミュレーションが可能になり、さらには格子間隔を数点とって連続極限を評価することもできるようになった。例えば陽子・中性子の質量は実験値を精密に再現できる。K中間子でいえば、そのレプトン対への崩壊や、パイ中間子1つとレプトン対への崩壊でも精密な計算が可能になった。
こうしたあらゆる面での理論的な発見と改善が分野をあげて続けられたが、その間もコロンビア大などのグループは一貫してK中間子崩壊の問題に取り組んできた。もちろん、これらの改善をすべて取り入れながら。30年たてば若かった人も30だけ歳をとる。その間、情熱を失わず邁進してきたのは尊敬すべきことではないか。

2021年3月14日日曜日

50年以上もわからなかったこと

素粒子にはこれこれの種類があって、相互作用はこれとこれ、まだわからない謎はこれ。素粒子物理は、素粒子の標準模型という形に整理されて基礎方程式もわかっているので、学ぶ側としてはわかりやすい。とは言え、そこに至る前にはさまざまな混乱があった。なかでも強い力にかかわる現象は混沌としていて、良く言えば多様な、悪く言えば場当たり的な理論があれこれ作られた。今にして思えば、複雑な内部構造をもつ粒子がぶつかったり壊れたりするのを扱っていたので、難しいのは無理もない。結局、素粒子物理はこの難しい強い力の問題を飛び越えて高エネルギーに進むことで、より小さなスケールでの法則を理解するという目標に到達することができたわけだが、実はその途中で見つかった難しい問題の多くは放置されてそのままになっている。K中間子の崩壊に関する ΔI = 1/2 則もその一つだ。 

「ΔI = 1/2 則」。何のことだろう。まず I (アイ)は前回も出てきたアイソスピンを意味する。Δ(デルタ)は差のことなので、これは反応の前後でアイソスピンが 1/2 だけ変化する過程に関する法則のことだ。K中間子がパイ中間子2個に崩壊するとき、パイ中間子2個の状態にはアイソスピンが2のものと0のものがあるというのを前回紹介した。一方で、K中間子にはダウンクォークが一つ入っていてアップクォークはないので、K中間子のアイソスピンは 1/2 になる。つまり、この過程では、アイソスピンが 3/2 (パイ中間子2個のアイソスピンが2の場合)、あるいは 1/2 (パイ中間子2個のアイソスピンが0の場合)だけ変化する振幅が存在することになる。ΔI = 1/2 則が言っているのは、アイソスピンが 1/2 だけ変化する過程の振幅が、もう一方よりずっと大きい、ということだ。何かの法則みたいな名前だが、何のことはない、実験で測られた結果を見るとそうなっている。もはや大昔、1950年代に発見されたことだが、具体的には、ΔI = 1/2 の振幅が、ΔI = 3/2 よりも22倍程度大きい。崩壊確率はこれを2乗するので、500倍近くの違いがあることになる。これはなぜだろうか。

量子色力学(QCD)が発見される前には、この現象を理解するすべは何一つなかった。QCD が確立したあとでも、この崩壊を計算することは容易ではなく、かなりおおざっぱな近似を用いた計算では、2倍の違いなら説明できそうだったが、22倍とはまだかなりの開きがある。そういうわけで、この問題はやはり難しいままで残されてきた。最終的な理解のためには、QCDの本当の計算を可能にする格子QCDシミュレーションに頼るほかない。

ところが、格子QCD計算を用いたとしても、これは容易な話ではない。まず終状態がパイ中間子2個の状態であり、それらの再散乱も含めた計算をしないといけない。それぞれのパイ中間子が特定の運動量をもった状態を抜き出さないといけない。このシリーズで以前に解説したが、それぞれ難しい問題だ。そして、ΔI = 1/2 、つまりパイ中間子2個がアイソスピン0をもつ状態がもう一つの大きなチャレンジとなる。アイソスピンが0ということは、全体としてはアップクォークもダウンクォークも存在しないということを意味する。最終的にはパイ中間子が2個出てくるのだが、そこに至る途中では、クォークと反クォークがすべて対消滅してグルーオンの背景場だけが残ったような状態を経由することもある。これも脱線中に紹介した η’(エータ・プライム)中間子の計算が難しいのと同じで、こういう状態を計算しようとすると計算の統計ノイズが大きくなってしまって、まともな結果が得られない。こういう困難を一つ一つ解決する必要があるのだ。

2021年3月13日土曜日

道は一つではない

自転車通勤をしていると、毎日同じ道だと飽きてくる。せっかくの田舎道を楽しむために、少し遠回りになってもいろんな道を通ってみたい。それぞれに違う季節の便りを感じることもできる。今週の発見は、今年初めてのウグイスの鳴き声だった。道を選ぶ決め手は、信号のタイミング。長めの信号待ちは職場までに3ヶ所ある。ぎりぎりで赤信号に変わったときは、別の経路を選ぶチャンスということで、遠回りすることにしている。家を出るときには、どちらを通るかわからない重ね合わせの状態にあるわけで、量子力学の波動関数の気持ちを毎日体感することができる、気がする。

これまでだいぶ脱線してしまった。脱線は楽しいのだが、脱線したまま数ヶ月がたつと、もともと何の話をしようとしていたのかわからなくなってくる。もともとK中間子崩壊における直接的CP対称性の破れの大きさを、格子QCD計算でどうやって計算したのかを解説しようとして始めたんだった。それがいつのまにか量子色力学やら、その量子化手段としての経路積分、インスタントン、果てはアノマリーまで出てきて収拾がつかなくなってしまった。それぞれに理由があって登場させたのだが、読んでくださっている方には何のことかわからなかっただろう。そろそろ元に戻るときだ。

CP対称性の破れというのは、粒子と反粒子を入れかえたときに、法則がまったく同じにはならないということを意味する。もちろん電荷が逆になったりする違いはあるのだが、そういう当たり前の違いを除いても、粒子の崩壊確率などに違いがある。それが最初に見つかったのはK中間子の崩壊においてだった。中性K中間子は、パイ中間子2個もしくは3個に壊れる。パイ中間子2個の状態のCPはプラス、3個の状態はマイナスなので、それぞれに応じて中性K中間子にもCPプラスの状態(Kショートと呼ばれる)とCPマイナスの状態(Kロング)の2種類がある。最初に見つかったのは、CPマイナスのはずだったKロングが、CPプラスの状態であるパイ中間子2個に壊れる事象だった。この現象は、中性K中間子が、そのままパイ中間子2個に壊れる波動関数と、一度K中間子の反粒子に遷移してからパイ中間子2個に壊れる波動関数の重ね合わせ、つまり干渉によって起こる。CP対称性の破れは、常にこうした干渉効果を通じて起こる量子的現象だ。

だが今回の主役になるのはこれではない。中性K中間子がパイ中間子2個に壊れるところまでは同じだが、もう少し詳細を見ることになる。パイ中間子2個のペアで全体の電荷がゼロになるものには、荷電パイ中間子のプラスとマイナスのペア、それにもう一つ、中性パイ中間子2個のペア、という2つの可能性がある。これらは、いずれもアイソスピンの言葉では、アイソスピンが2の状態と0の状態の重ね合わせになっている。アイソスピンというのはアップ・クォークとダウン・クォークを区別する量子数のこと(以前のアイソスピンの項を参照)で、1個のパイ中間子(荷電パイ中間子のプラスとマイナス、あるいは中性パイ中間子)は、アイソスピン1をもつ3つの状態のうちの1つになっている。パイ中間子が2個になると、アイソスピン1の状態を二つ組み合わせることで、アイソスピン2と0があらわれる。(量子力学を勉強すると後半に出てくる角運動量の合成というやつだ。面倒だけど、結局勉強しないといけなくなる。) 現実の状態はこのいずれかにきちんと対応しているわけではなく、アイソスピン2と0の状態をあるやり方で重ね合わせたものに相当する。

ややこしい話になってきた。中性パイ中間子2個の状態が実験で観測されたとき、それは実はアイソスピン2の状態だったかもしれないし、あるいはアイソスピン0の状態だったかもしれない。量子論の重ね合わせなので、どちらかを言うことはできないわけだ。これらの2つの波動関数の重ね合わせを通じて干渉が起こりうる。そして、その干渉を通じてCP対称性の破れが起こる可能性がある。実験によって、このCP対称性の破れを取り出すには、巧妙に考え出されたいろんな崩壊過程の比を使うのだが、それはここではいいことにしよう。とにかく、2つの崩壊過程をあらわす波動関数(量子論的な振幅とも呼ばれる)の干渉を通じてCP対称性が破れる。これを直接的CPの破れという。

この直接的CPの破れが実験で確認されたのが90年代の前半。すでに25年以上が経つ。ところが、理論的な計算があまりに難しいために長い間棚ざらしの状態になっていた。最近の格子QCD計算は、ついにこの計算ができるようになったという大きなエポックとなった。


2020年10月24日土曜日

本当の闘いはこれからだ

LHC = 大型ハドロン衝突器という、妙に名前に工夫のない加速器がある。もちろん、ヨーロッパの CERN にある世界最大の加速器のことだ。陽子の束を2つ用意し、互いに逆向きに加速して正面衝突させる。陽子の中にはクォークやグルーオンがいくつもいるので、クォークとクォークがぶつかったり、グルーオンとクォークがぶつかったり、いろんなことが起こる。実際のところ、あまりにいろんな種類の衝突が起こり、そのほとんどは何の役にも立たないゴミの山だ。ごくまれにヒッグス粒子が生成されたりして、本当に調べたいのはそこなので、ゴミの山を避けて知りたいものだけを抽出する装置に工夫がこらされる。

あわれなことにゴミ扱いされてしまった衝突イベントでは何が起こっているのだろうか。例えば、逆方向からやってきたクォークとグルーオンがちょっとかすって通り過ぎる。それでも衝突エネルギーはむやみに大きいので、元からあった陽子を壊すには十分だ。陽子の中で衝突には参加しなかった他のグルーオンなども、ぶつかって弾き出されたクォークに引っ張られてついていこうとする。ただ、慣性があるので皆が素直についていくわけにもいかず、バラバラに壊れる。壊れて出てこようとするクォークやグルーオンは、困ったことに単独では存在できず陽子や中間子などの束縛状態を作らないと生き延びることができない。そこで、仲間を探して束縛状態を作ろうとする。ここでまた量子論のおかげで妙なことが起こる。周囲に仲間が見つからないクォークでも、真空から勝手に生まれたクォーク・反クォーク対から反クォークだけを相手として取り出して中間子を作ることができる。そうすると真空中から呼び出されたあげく余ってしまったクォークは、やはり一人ではいられないので、また真空から出てきたクォーク・反クォーク対から、というように延々と繰り返すことになる。真空から粒子をくみ出すにはエネルギーが必要なので、もともと持っていた運動エネルギーをそこに費やして、エネルギーがなくなるまで続くことになる。結果として起こるのは、いくつかの陽子や中間子がばらばらと出てくるイベントだ。

こうしたイベントの起こる確率を正確に計算する手段はいまのところ存在しない。あまりにも複雑で手に負えないせいだ。これを我々がゴミと呼ぶのは、理論家が負けを認めたくないためだと言うと言い過ぎだろうか。

主題に戻ろう。K中間子の崩壊の話だ。K中間子の多くは、パイ中間子2個に壊れる。そのきっかけは弱い力で、K中間子の中のストレンジ・クォークが W ボソンを出してアップ・クォークに変わるところから始まる。ここで出てきた W ボソンは、ダウン・クォークと反アップ・クォークを作る。ややこしくなってきた。少し整理しよう。もともとはストレンジと反ダウンだった。それが、アップ、ダウン、反アップ、そして元々あった反ダウン、という4つのクォークに変わることになる。ここから中間子を作るには、アップ・反アップ、ダウン・反ダウン、という組み合わせと、アップ・反ダウン、ダウン・反アップ、という組み合わせが考えられる。実際、これらはどちらも存在し、前者は中性パイ中間子2個、後者は荷電パイ中間子2個(プラスとマイナス)に相当する。この崩壊では、真空からクォーク・反クォーク対をくみ出す必要すらなく、相手を見つけることができた。これはラッキーな場合ではある。実際、K中間子がパイ中間子3個に壊れることもある。クォーク・反クォーク対を真空からもう一つ作り出してパイ中間子を一つ加えるわけだ。

さて、K中間子がパイ中間子2個に壊れる過程、これは LHC での陽子陽子衝突から出てくる数多くの粒子と比べると、かなりシンプルな話のように思える。では、これなら理論的に計算できるだろうか。つまり格子QCDで計算できるかという問題だ。実はそれが大変な話になる。少しずつみていくことにしよう。

2020年10月23日金曜日

広い世界でたまたま出会った

物理学を学ぶときは、式変形を一つずつ確認しては、頭の中で対応する現象をイメージする、その繰り返し。どちらが欠けても十分な理解には至らない。そのイメージの部分だけを抜き出して語ることにしたので、なんだか単にとりとめのない話になってしまっている。本当に学びたい人は、ちゃんとした教科書でどうぞ。

K中間子の質量を読み取る方法はわかった。K中間子の場が減衰する様子を調べればよい。最初は、K中間子の状態だけでなくその励起状態が混ざったものを見ることになるが、虚時間で離れるとエネルギーの高い励起状態はその分速く減衰するので、遠くまでいくとほとんどなくなってしまう。最後にはエネルギーの小さいK中間子だけが残るので、その減衰の速さを見れば、それがK中間子の質量だ。

減衰の速さだけではなく、残った波動関数の大きさからは何がわかるだろうか。そこからは、真空からK中間子の状態を作るときの波動関数がわかる。K中間子と同じクォーク・反クォークの組み合わせとスピン(=角運動量)をもった生成演算子と消滅演算子を使って、真空からK中間子を作ったり消したりするわけだが、その強さというか、効率がわかることになる。この生成・消滅演算子は、勝手に選べるものではあるが、もし自然界に存在する演算子をもってくると、現実のプロセスの確率を計算することに相当する。「自然界に存在する演算子」とは、弱い力が作る演算子のことで、Wボソンが飛んできてクォーク・反クォーク対に変わるときに現われる演算子のことだ。ここまでくると、ほぼ実際に起こる現象をそのまま計算するのに相当する。どこかからWボソンが飛んできてクォークと反・クォークに変わり、それがしばらくK中間子として飛んだあとで、またWボソンに戻る。こういう過程があったとしたら、その確率を計算するやり方がわかったということになる。

「自然界に存在する演算子」はこれだけではない。しばらく前まで、K中間子と反K中間子が互いに入れ替わる過程があるという話をした。そのなかでも、粒子と反粒子を入れ替えたときの非対称性(時間を反転したときの非対称性と言ってもよい)に効くのは、Wボソンとトップ・クォークを介してストレンジ・クォークがダウン・クォークに、同時に反ダウン・クォークが反ストレンジ・クォークに変わる過程だった。Wボソンもトップ・クォークもずいぶん重い粒子なので、それらが仮想的に飛べる距離は非常に短くなる。K中間子の中でふわふわと漂うクォークにとっては、ほぼ一点だと考えてもよい。つまり、この複雑な過程を一点で起こす生成かつ消滅演算子を考えることができる。これもある種の「自然界に存在する演算子」だ。

なるほど。この演算子が突然現われたときに、K中間子がどれだけの確率で反K中間子に変わるかを調べるには、実際にそういう過程を計算してみればよい。さっきと同じようにしてK中間子に対応するクォークと反クォークを作り、しばらく飛ばして励起状態がなくなったところを見計らって、今度はさっきの粒子・反粒子を入れ替える演算子を挿入する。そこでクォークと反クォークがそれぞれ一度消滅し、同時に別のクォークと反クォークが生成される。こうして生まれたクォークと反クォークをもう一度しばらく飛ばして励起状態がなくなったころに消滅演算子で消す。この過程全体の確率を計算することができそうだ。

計算のやり方はわかった。問題はその中で何が起こっているのかだ。粒子・反粒子が入れ替わるのは、空間のある一点に置かれた演算子のおかげだ。この演算子がはたらくためには、K中間子のなかのダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがある瞬間ちょうど同じ点にいて、演算子によって消される必要がある。普段は中間子のなかでふわふわと漂っているクォークと反クォークが、たまたま同じ点にいる確率を調べるという話になる。水素原子のなかの電子を思い浮かべるとよい。電子の波動関数は空間にある大きさで拡がっているが、それは原子の中心にもつながっている。波動関数全体の中で、たまたま中心にくるのはそれほど大きな割合ではないだろう。それと同じで、K中間子のなかでふわふわと拡がったクォークも、たまたま反クォークと出会うことがある。その瞬間に粒子・反粒子の入れ替える魔法が働いたときに、この過程が起こるというわけだ。

2020年10月17日土曜日

他の奴らが消えるまで待て

音楽家は楽譜を見るとすてきな音楽が頭の中で鳴り響くという。物理学者たるもの、数式を見るとすぐに物理現象が生き生きと想像できるはずだ。残念ながら私の場合はそうではない。もう長くやっているので、クォークがどんなものか頭の中にイメージができつつあるが、ずいぶんぼんやりしている。このぼんやりしたイメージを文章にしてみたい。どうなるだろうと思いながら書いてきた。案の定とてもごちゃごちゃした話になってしまった。私のイメージもやはりごちゃごちゃしているということか。

前回まで、クォークが真空中を伝わっていくようすを紹介してきた。 グルーオン場がつくるでこぼこの中を、クォークの場がときには勢いよく、ときにはひっかかったりしながら拡がっていく。背景のグルーオン場はランダムに突き動かされ、それら全部を合わせたものが最終的なクォークの波動関数を与える。本稿の目的はK中間子崩壊の計算をするというのはどういうことか、なぜ難しいのかを解説することだ。そこに話を戻そう。

K中間子をつくるダウン・クォークとストレンジ・クォークは、少しだけ質量の異なる別の粒子だ。だから、真空中の伝わりかたも微妙に異なる。これらのそれぞれが計算できたら、両者を組み合わせてK中間子をつくる。組み合わせるというのは、ダウン・クォークの場に、ストレンジ・クォークの場の複素共役(反粒子に相当する)を掛け合わせることだ。ただし、両者がもつスピンが逆向きになるものを掛け合わせないといけない。間違えるとK中間子ではなく、スピンの異なるK*中間子ができてしまう。とにかくこうして、K中間子の「場」ができた。クォークの場を2枚もってきて、片方を裏返してホッチキスで留めたようなものだろうか。

ただし、ここで一つ重大な間違いがある。K中間子の「場」と言ったが、これはK中間子のみをあらわすものではない。K中間子と同じ内容物(ダウン・クォークと反ストレンジ・クォーク)をもち、K中間子と同じスピン(この場合スピンはゼロ)をもった粒子は、なんでもこの場のなかに含まれている。現実の世界では何に相当するかというと、K中間子よりも質量、つまりエネルギーの大きい、数多くの励起状態のことだ。励起状態のなかには角運動量が異なるものもいろいろあるが、そのなかで同じ角運動量をもつものすべてということになる。実験できれいに見つかった状態もあるが、多くは複数の中間子が互いに飛び交うような散乱状態で、まあ要はめちゃくちゃな状態ということになる。K中間子の「場」はこういうすべての状態を表したものになっている。K中間子は、そのなかでエネルギーが最低のものを指すわけだ。

いろんな状態のなかからねらった状態だけを抜き出すのは、それなりに難しい。量子力学の波動関数は時間とともに位相が回転する。振動すると言ってもよい。振動数がその状態のエネルギーをあらわす。であれば、使うべき道具はフーリエ解析だ。さまざまな振動数がまざった波から狙った振動数のものを取り出すには、フーリエ変換してしまえばよい。ところが、覚えておられるだろうか、この計算では時間を虚数にしてしまっている。おかげで波動関数は振動ではなく減衰する。減衰する速さからエネルギーを読み取る必要がある。これではフーリエ解析は使えない。ただ幸いなことに、エネルギー最低の状態だけはうまく取り出すことができる。他の状態はより速く減衰するので、それを待てばよい。つまり、虚時間で十分に時間がたったときの波動関数を取り出せば、これが欲しかったK中間子の状態だ。

 

2020年9月26日土曜日

局所戦に持ち込めるか

難しい問題があったら、まずはそれをどこか一か所に押し込めるのが良い作戦だ。そこだけは後で考えることにして、話を先に進めることができる。それができるときは話がすこしすっきりする。できないときは、まだまだ長い話が待っている。

K中間子でCP対称性が破れるやり方について考えてきた。GIM機構を拡張した小林益川理論というのがあって、ボトム・クォークとトップ・クォークが存在することにすれば、理論のなかに複素数の位相を付け加えることができる。K中間子が反粒子と混合するときには、ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わる必要があるが、そういう過程は直接起こるわけではなく、途中にアップ、チャーム、トップ・クォークのどれかを経由することで起こる。GIM機構のときもそうだったが、これらの3つのクォークが同じもの、つまり質量が等しかったら、3つの遷移をあらわす波動関数がちょうど相殺して何も起こらない。自然界ではどういうわけかクォークの質量が異なるので、その差の分だけ余分が残り、これが混合を引き起こす。そして、そこに複素数の位相がからんでいたら、CP対称性の破れにもつながる。

複素位相は、3つめのクォークの組を持ち込んだときに初めてあらわれることを以前紹介した。このことを反映して、CP対称性の破れに特に関係するのは、トップ・クォークを経由する場合ということになる。ストレンジ・クォークがWボソンを放出してトップ・クォークに変わり、もう一度Wボソンを放出してダウン・クォークに変わる。この過程に複素位相があらわれる。あまったWボソンは、反ダウン・クォークがこの逆の過程を経て反ストレンジ・クォークに変わるときに吸収してもらう。これこそが、K中間子の混合でCP対称性が破れる現象の正体だ。

途中にあらわれたトップ・クォークやWボソンは、いずれもK中間子よりもずいぶん重い。100倍以上だ。ということは、これらの粒子は実際に出てくるわけではなく、量子力学の原理にしたがって仮想的にあらわれるだけだ。重い粒子はそれだけエネルギーも大きいので、仮想的とはいえどもごく短時間で消えるはずで、飛ぶ距離も非常に短い。K中間子の大きさの100分の1以下の長さでしかないわけだ。K中間子の中のどこか非常に狭い領域でこういう過程が静かに起こる。これが量子力学の不思議なところだ。

クォークがくっついてできてできているK中間子には大きさがある。陽子や中性子の大きさと同じで、およそ1フェムト・メートル。小さいとはいえ有限の大きさのなかで、クォークとグルーオンがうろうろ、あるいはふわふわしているというのが、そのイメージになる。クォークを結びつけているのは強い力の仕業だ。K中間子の大きさや、そのなかにクォークがどのように分布しているかも含めて、すべては強い力を解いてみればわかるはずだ。ふわふわ漂っているダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが、たまたま同じ点にきたときに、電光石火で上記の過程が起こって、反ダウン・クォーク とストレンジ・クォークに変わる。周囲をとりまくグルーオンは何もなかったかのようにそこにいる。

見てきたようなことを書いたが、これはもちろん単なる想像で、物理学がまともな学問である以上、ちゃんと計算ができないと先に進めない。中間子のなかでふわふわ漂っているダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがたまたま同じ点にくる確率はどれくらいか、それを計算できないと、CP対称性の破れの大きさはわからないわけだ。これは強い力の問題で、これまでに話してきた弱い力とはまた別の話になる。弱い力の性質を理解しようとがんばってきたが、最終的にもっとも難しい問題は強い力だったということになる。

とは言え、われわれはラッキーだった。 いまの場合、難しい問題をK中間子のなかでダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが出会う確率、という一つの問題にしてくくり出すことができたからだ。K中間子のCPの破れの問題は、そこを除けばおおよそ理解できたようだ。この簡単な問題だけは... 。

2020年9月25日金曜日

干渉すると壊れる

南部・小林益川のノーベル賞で沸いた2008年、私みたいなののところにもテレビ局から説明の依頼がきた。小林・益川理論について一般の人が30秒でわかるように説明してください、 と言われて、ディレクターさんに3時間説明した。(数学の)行列を使うのは禁止、複素数もだめ、シュレーディンガー方程式はもちろんだめ。どうすればいいのか。いろんな奥の手を考えたのだが、結局本番では益川先生の話がおもしろすぎて、用意していた説明は全部ボツになった。

ダウン、ストレンジとボトム・クォーク を混ぜるときの係数に複素数が残ってしまい、それがCP対称性の破れの起源になるという話をした。では、これが中性K中間子の崩壊にどのように関わってくるのかが次の問題だ。

すべては量子力学で計算しないといけない。K中間子の波動関数を用意する。それがシュレーディンガー方程式にしたがって時間とともに変化し、ある時刻にパイ中間子2個の状態をあらわす波動関数に移行する。その振幅を計算することになる。「振幅」というが、これも波動関数の話なので複素数になり、その絶対値の2乗を計算すると、その時刻にパイ中間子2個に壊れる確率を与える。複素数の絶対値の2乗であることに注意しよう。この途中で、小林益川理論にしたがって波動関数に複素数の係数がかかってきたとして、最終的にどうなるかというと、絶対値の2乗を取るので複素位相は消えて見えなくなる。現実に測定される量は確率だけなので、これでは元の木阿弥で、何も説明したことにならない。

CP対称性の破れというのは、つくづく意地悪な現象で、GIM機構のときにもそうだったが、普通ならあってもいいはずのものがある事情で相殺して消える。ここでまた一つ、複素数の絶対値の2乗のせいで、あってもよいはずのものが見えなくなってしまった。

問題を避ける鍵は、最終的なパイ中間子2個の状態が、中性K中間子からも、その反粒子の中性反K中間子からも遷移できるものだという特殊性にある。 (以降、面倒なので「中性」というのを省くことにする。)K中間子は、ダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが結びついたもの、その反粒子は反ダウン・クォークとストレンジ・クォークが結びついてできている。いずれも崩壊するときには、(反)ストレンジ・クォークがWボソンを介してアップ・クォークに変化することが引き金になる。このとき、余分に出てきたWボソンは、マイナスの電荷をもっており、ダウン・クォークと反アップ・クォークを生成する。そうすると、中性反K中間子の崩壊で最終的でできるのは、アップ・クォークとその反粒子、ダウン・クォークとその反粒子、という組み合わせになることがわかる。中性K中間子について同じことをやるのは簡単で、すべてに「反」をつければよい。「反」が2個ついたら元にもどることを忘れずに。 最終的な状態は、粒子と反粒子をすべて入れ替えても元にもどることに注意しよう。だからこそ、K中間子とその反粒子のいずれからでも移行できるということになっている。

このことがわかれば、K中間子の崩壊には2通りの道があることがわかる。一つは、K中間子が直接パイ中間子2個に以降する道。 もう一つは、K中間子が一度反K中間子に移行し、その後にパイ中間子2個に以降する道だ。波動関数を計算するときには、両者を計算して足さないといけない。ここでようやく話がつながる。小林益川理論で複素数があらわれるのは、K中間子が反K中間子に変わるところだけだ。そうすると、2つの道をあらわす波動関数のうち、一つだけが余分な複素位相をもつ。この余分な複素位相は、粒子と反粒子をすべて入れ替えたときに逆向きになる。他はすべて元のままで、小林益川理論に起因する複素位相のところだけ逆になるせいで、最終的な確率を計算する絶対値の2乗をとったときに違いがあらわれる。

このように、2つの波動関数を足したときに起こることを干渉という。普通の波と同じで、2つの波の山と谷の重なり具合が変わってくることで、もとの波が強めあったり弱めあったりする。量子力学による効果が顕著にあらわれるところだ。

K中間子におけるCP対称性の破れはこうして起こる。ところが、これでもまだ話は半分も終わっていない。

 



2020年9月22日火曜日

たとえ小さくてもゼロでない限り

やっぱり深入りしてしまった気がする。一般向けにはややこしすぎるし、大学院生向けにはきちんと式を追って説明しないと役に立たないのに。そう思ってふと思い出したのは、ブルーバックスの南部陽一郎『クォーク』。久しぶりに開いてみたら、なんだ、全部書いてあるじゃん。しかももっと面白い話も。本当に興味のある方は、ぜひそちらを読むことをおすすめします。とは言え、途中でやめるのもあれなので続きを。

Zボソンを通じてストレンジ・クォークがダウン・クォークに遷移する過程は禁止されている。これがGIM機構の帰結だった。でも、ちょっと待って。中性K中間子の粒子・反粒子混合には、まさにこの過程が必要なんだった。どうすればいい? 答えは、「変身チケット」を2度使うこと。ストレンジ・クォークがWボソンを放出してアップ・クォークに変わることはできる。今度はそのアップ・クォークがWボソンを吸収してダウン・クォークに変わってはどうだろう。これなら結果的に、ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わったのと同じことになる。2度の変身が必要なのでそれだけ確率は小さくなるが、それでも可能ではないか。

これでうまくいった気がするが、実は、GIM機構はもっと巧妙にできている。ストレンジ・クォークが一度アップ・クォークに変わってからダウン・クォークに戻る過程は、それと似たチャーム・クォークを経由する過程とちょうど相殺するようにできている。したがってこの過程はやはり起こらない。アップ・クォークとチャーム・クォークが正確に同じものならば。唯一の抜け道は、アップ・クォークとチャーム・クォークの質量の違いだ。両者の質量が等しければ2つの過程は正確に相殺するのだが、質量が異なる分だけ余分があってもよい。チャーム・クォークの質量は 1 GeV 以上あって、アップ・クォークの 5 MeV 程度と比較すると200倍も大きい。この違いが小さいながらも有限の差を生む。それが中性K中間子の混合を生むわけだ。

こうして起こる中性K中間子の混合の強さを、実際に計算して精密に予言することは、実は非常に難しい。おおよそのストーリーは以上の通りなのだが、実際の計算では、クォークに常にまとわりつくいくつものグルーオンのことを含めないといけない。それらが集まって最終的にパイ中間子2個の状態やその他のいろんな状態が作られるのだが、量子力学の原理にしたがって仮想的に現れるそういういろんな状態をすべて計算して足さないといけないので、この計算は非常に難しい。それこそ格子QCDシミュレーションを使わないとどうにもならない。それどころか、格子QCD計算にとってもかなりの難問になる。これについては後日。

ともあれ、K中間子混合が起こることはわかった。正確にはわからないがゼロではない。だが、これで一安心、K中間子の崩壊にみるCP対称性の破れが説明できた、というわけではない。粒子と反粒子の混合が起こることはわかったが、それとCP対称性の破れはまた別の話だからだ。たとえCP対称性が破れていなくてもK中間子の混合は起こって、寿命の短いKショートと寿命の長いKロングに分離する。ただし、このままでは(CP-)のKロングが(CP+)のパイ中間子2個に崩壊することは決して起こらない。問題はまだここからなのだ。

2020年9月19日土曜日

命名「ゾンビ粒子」〜 中性K中間子

宇宙には粒子ばかりで反粒子が見つからない。それはなぜか。未解決の大きな謎だ。そういう話を聞くことがある。その前提には、粒子が反粒子に勝手に変わることはなく、反対に反粒子が粒子に変わることはないという法則がある。実際、これは非常によい精度で確認されているいて、ゾンビではあるまいし、目の前の粒子がいつの間にか反粒子に変わってしまうことはない。中性K中間子という例外を除いては。

中性K中間子は、ダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがくっついてできている粒子のことだ。この粒子には反粒子が存在する(中性反K中間子)。それぞれのクォークをその反粒子に取り替えたもので、反ダウン・クォークとストレンジ・クォークをくっつけたものだ。いずれも電荷をもっていない(つまり中性)粒子なので、ただ見ていても区別はつかないのだが、崩壊してできた粒子を見れば判別できるときもある。中性K中間子で驚くべきことは、粒子と反粒子が量子力学でいう波動関数の「重ね合わせ」にしたがって重なりあっていることだ。重ね合わさった状態は、ある瞬間にどちらが実現するのかを言うことはできない。重なった状態こそが物理的な「実在」ということになる。中性K中間子の場合には、元の状態をあらわす波動関数と反粒子の状態をあらわす波動関数を足した(1対1で重ね合わせた)ものが一つ、両者を引いた(1対マイナス1で重ね合わせた)ものが一つ、という2つの状態が実現する。一方は寿命が短く、1センチメートルほど走ってすぐに壊れてしまう(「Kショート」と呼ばれる)。もう一方は寿命が長く、何十メートルも飛ぶことができる(「Kロング」と呼ばれる)。

粒子と反粒子を取り換えたときに状態がどう変わるかをあらわすために、両者を入れ替える変換を CP 変換と呼ぶことにしよう。反粒子は、時間を逆に進む粒子と考えることもできるので、CP 変換は時間反転に相当する。実は、さきほど登場した Kショートと Kロングは、この CP 変換をしたときに、波動関数の符号が変わらないもの(CP+) と符号が変わるもの (CP−)、と理解できる。Kショートはパイ中間子2個に壊れるが、Kロングはパイ中間子3個に壊れる。これは、パイ中間子2個の状態が CP+ であり、パイ中間子3個だと CP− であることに由来する。元の中性K中間子の質量が同じなら、パイ中間子2個に壊れたほうが生成できる運動量が大きくなり、その分崩壊しやすくなる。だからすぐに崩壊する。つまりKショートだ。実験では中性K中間子を同時に数多く生成するが、Kショートはすぐに壊れてなくなってしまい、遠くまで飛ぶのはKロングだけになる。

さて、本題はここからだ。遠くまで飛んで出てきたKロングをもう少し詳しく見てみると、わずかだがパイ中間子2個に壊れるものがある。500個のうち1つくらい。Kロングは CP− のはずだ。一方で、パイ中間子2個の状態は CP+ のはず。CP が変わったのか。これが有名なクローニンとフィッチの実験で、1964年のことだ。

CP対称性というのは、時間の流れる向きを逆にしたときに物理法則が同じかどうかを表すものだ。力学の法則や電磁気学の法則もそうだが、物理法則は CP 変換をしても変わらないと思われていたが、この実験結果はそれを壊しているように見える。CP対称性は破れている。これはどうしたことか。

 

2020年9月18日金曜日

素粒子物理学最大の難問

そもそも本稿を始めようと思ったときの目標は、クォークの性質について大学生くらいを対象にできるだけ噛み砕いて、かつ正しく伝えるということだった。量子力学の初歩から始めて少しずつ階段を上るようにクォークへの理解を深めていくというつもりだったのだが、ずっとさぼっていたせいで、むしろ一番難しいところから始めることになってしまった。そういうわけで、以下はむしろ大学院生向けかもしれない。

 

アメリカの友人たちによる記念碑的な論文が出版された。https://doi.org/10.1103/PhysRevD.102.054509 K中間子の崩壊で測定されたCP対称性の破れを理論的に計算することに成功した。これを「記念碑的」と呼ぶのには理由がある。直接的CPの破れと呼ばれるこの量が、Fermilab の KTeV と CERN の NA48 実験的に確認されたのは2000年前後のことなのでもう20年前のことだが、その後この測定が素粒子標準模型の基本パラメタの決定に活かされることはなかった。理論的計算が難しすぎて基本パラメタとの関係がまったくわからず、どうにもならなかったのだ。直接的CPの破れがゼロではないということはわかったが、素粒子模型の理解という点ではほとんど役に立たない実験結果として20年が過ぎた。その状況がこの計算により初めて覆り、素粒子標準模型を検証する一群の測定の一つに数えられることになった。

では、この何が難しかったのか。理由はいくつもある。K中間子が2つのパイ中間子に崩壊する過程を理解するには、弱い相互作用(弱い力)で起こるクォークの遷移に加えて、強い相互作用(強い力)が支配する中間子のダイナミクスを理解する必要がある。しかも、強い力の場の量子論としての性質が強く現れた崩壊過程であるために、素朴なクォーク模型はもちろん、カイラル有効理論や、その他の人為的な模型による計算はことごとくうまくいかなかった。弱い力と強い力の交差点で、難しさが何重にも折り重なった量。それが、K中間子の直接的CPの破れだ。

強い力は高エネルギーの粒子散乱実験では力が弱くなって理論的に扱いやすくなる。一方、K中間子の崩壊のような低いエネルギーではファインマン・ダイヤグラムを使った摂動計算が使えなくなるために、信頼できる理論的計算の手段は限られ、格子量子色力学(格子QCD)という理論のシミュレーションが、散乱や崩壊を計算する唯一の方法となる。格子QCD計算のなかでもK中間子崩壊の計算は飛び切りの難問としてこれまで我々の前に立ちふさがってきた。どこが問題なのか、いくつかあげてみよう。

  • 格子理論が苦手とするカイラル対称性が本質的に重要な量である。カイラル対称性を持たない理論を使うと、弱い相互作用から出てくる演算子が他の演算子と量子効果によって混ざってしまい、欲しい量だけを取り出すことが困難になる。 
  • 終状態が2つのパイ中間子からなる状態である。格子QCD計算で、2つのパイ中間子を用意すること自体はできる。ところが、2つのパイ中間子の相対的運動量を決まったものに固定することが難しい。これは、本質的には格子計算はユークリッド化した空間上で行わざるを得ないことに起因する。格子上ではエネルギー保存則が「成り立たない」。どうやって必要なものだけを取り出すのか。
  • もう一つ、格子理論が(虚時間をもつ)ユークリッド空間での計算であることからくる問題として、散乱の振幅を直接は計算できないということがある。ユークリッド空間ではいくら計算しても実数しか出てこない。実空間での散乱振幅(散乱の位相差といってもいい)をどうやって読み取るのか。
  • 格子QCD計算がもっとも苦手とするのは、クォークと反クォークが対消滅できるような状態である。2つのパイ中間子からなる状態は、すべてのクォークと反クォークが対消滅して消えてしまうような成分が含まれており、実はこれが本質的な役割を果たす。格子QCDのモンテカルロ・シミュレーションでは、こういう状態の統計誤差が大きくなってしまって信号が見えなくなる。

これらの問題を克服した結果が上記の論文に結実している。「記念碑的」な研究と紹介したのにはそういう意味もある。上記の論文の著者の一人でもっともシニアな研究者の Soni 博士は、こういう計算を目指して30年以上も前から研究に取り組んできた。Christ 博士は、格子QCD計算のために計算機開発にまで取り組んできた先駆け的存在だ。非常に強力なメンバーとともに情熱を失うことなく長年にわたって研究を続けてきた結果がここにある。そういう意味でも感動するような成果だと思う。

次回から数回にわたって、これがどういう問題なのか、どのように解決されたのかを紹介してみたい。残念ながらこれらは大学生向けというより大学院生向けになってしまうかもしれない。