2020年12月26日土曜日

スピン、アイソスピン。何それ?

量子力学を学ぶとき、角運動量やスピンのあたりは一つの壁になるのではないだろうか。交換関係というよくわからないものを追いかけていくと、いつのまにか角運動量が整数値だけ許されるという話になって、変な話だと思うまもなく今度は半整数、特に 1/2 の角運動量をもつ「スピン」というのが出てくる。数式を追うのに精一杯で全体像をつかむのはなかなか難しい。そうこうするうちに、級友が「群論」というものがあると教えてくれて、それを勉強すればすべてすっきり理解できるらしいとか余計なことを言い出す。それでは、というので数学科の群論の講義に潜り込んで勉強しようかと思ったら、たいくつな定理と証明ばかりでいつまでたっても回転群は出てこない。おかげでもやもやしたまま。こういう状況がいまも同じなのかどうかは知らない。最近の教科書には群論の必要なことだけが要領良くまとまっているのかもしれない。

さまざまな角運動量の状態は、空間がもつ回転対称性を満たすような波動関数の取りうるいろんな可能性をあらわしている。ある軸のまわりに一周回ったら元にもどらないといけないが、そうなるような関数はいろいろあって、一番簡単なのはずっと定数のもの。次に簡単なのは一周回る間に複素位相が一回転するもの、次は二回転、といった具合だ。こういうのは別の状態と考えるのが便利だし、実際にも別々のエネルギーをもつ異なる状態になっていることが多い。

さて、角運動量の話をしてきたが、ここで考えたいのは実は角運動量ではない。「アイソスピン」という、核子や中間子、原子核を区別するラベルについてだ。アイソ (iso-) というのは、「同一」という意味の接頭辞で、ここでは陽子と中性子がほとんど同じに見える、ということを意味している。陽子はプラス1の電荷をもち中性子は電荷ゼロなので、両者は全然違うものに見えるが、電荷を除く他の性質は驚くほど似ている。質量は、ある単位で938と940。0.2% しか違わない。それぞれ強い力を感じるのだが、その強さもほぼ同じだ。これだけ似ているということは、自然界がある対称性をもっているに違いない。陽子と中性子を入れ替える対称性ということになるが、実際にはそれらを中途半端に混ぜる変換も許されるような連続的な対称性だ。この対称性がたまたま空間の回転対称性と同じだったので、そこで使われている分類法を使おう、ということになったのがアイソ「スピン」の意味するところだ。だから、くるくる回るスピンとは何の関係もない。

陽子と中性子をつくっているクォークの言葉で言うと、アイソスピンの対称性は、アップ・クォークとダウン・クォークを入れ替える対称性に相当する。アップとダウンの名前の由来がわかっていただけただろうか。そう、アップ・クォークはアイソスピンが「上向き」を持つクォーク、ダウン・クォークは「下向き」を意味する。上向きと下向きという2成分だけをもつ状態はスピン 1/2 の状態なので、クォークはアイソスピン 1/2 の状態で、アップとダウンは、その上成分(+1/2)と下成分(-1/2)を表しているということになる。これらの組み合わせでできているのが陽子と中性子で、陽子はアップ2個とダウン1個なので、アイソスピンは +1/2、中性子は、アップ1個とダウン2個なので、アイソスピンは -1/2 だ。

アイソスピンは、単に分類の道具にすぎないが、便利な道具でもある。クォーク1つと反クォーク1つで作られる中間子の場合は、アイソスピンが0になるものと1になるものがある。1/2 と 1/2 を組み合わせるとできるのが 0 か 1 だからだ。パイ中間子は、アイソスピン1をもち、その成分には +1, 0, -1 がある。これらが、それぞれパイ"+"、パイ"0"、パイ"ー" という粒子に相当する。そして、エータ・プライム(η’)中間子は、アイソスピンがゼロの別の粒子、ということになる。

2020年12月20日日曜日

中間子はクォークの束縛状態、ではないかも

 陽子や中性子、それにさまざまな中間子はクォークがつくる束縛状態だと言われる。中間子は水素原子のようなもので、クォークと反クォークがお互いに引力を及ぼしあってくっついている。実際、そういうものだと思って量子力学の問題を解いてみると、中間子のスペクトルをある程度再現することができる。特に、比較的重いチャーム・クォークやボトム・クォークがつくる束縛状態のエネルギー準位は、現実のものをかなりよく再現できる。一方で、こういう見方ではまるでうまくいかないものもあって、その一つがパイ中間子だ。パイ中間子は、クォークがもっている(と想定される)質量よりも軽いので、束縛状態と考えるのはそもそもかなり無理がある。パイ中間子が軽い理由は自発的対称性の破れであって、束縛状態だというのは間違いないが、それほど単純な話ではない。(クォークがどうなってパイ中間子を作っているのかについては、しばらく前に少し詳しく紹介した。)

クォークの束縛状態を考えていてはわからなくなる問題がほかにもある。パイ中間子の仲間なのに、ずいぶん重いη’(エータ・プライムと読む)という中間子だ。スピンやパリティといった性質はパイ中間子と同じなので、同じように軽くなってもよさそうだがそうではなく、実際には7倍ほど重い。この粒子の特徴は、同じ種類のクォークと反クォークが入っていて、それらがお互いに対消滅することができるという点にある。パイ中間子では、例えばアップ・クォークと反ダウン・クォークというように、種類の違うクォークが組になっているので粒子と反粒子が出会って消えてしまうということは起こらないが、エータ・プライム中間子のなかではそれが起こる。そのときに残されるのは背景ゲージ場の塊で、グルーオンの塊と呼んでもよい。そういうのができて、またすぐにクォーク・反クォーク対を生成する。そういうことが内部で起きていると思われる。水素原子のような束縛状態とはずいぶん違うというのを想像していただけるだろうか。ここにはまた量子異常やインスタントンといったややこしい話がかかわってくるのだが、それはまたいずれ。

こういう状態を格子QCDで計算するというのは、またやっかいな話になる。格子QCD計算のなかで基本になるのは、背景ゲージ場のなかを伝わっていくクォークの場なのだが、エータ・プライム中間子の場合には、クォーク場が直接伝わっていくのではなく、それが反クォークと一緒に消えて、さらにまたクォーク場と反クォーク場を作り出すというややこしいプロセスを経る。反クォークの場というのは、クォーク場と同じもので時間を逆向きに伝わるものと考えればよいので、これはちょうど、ある点から伝わっていくクォーク場がまた元に戻ってくるのに相当する。さらにまた空間のどこかで勝手に生まれたクォークと反クォークの場が別の点にまで伝わっていく。これが何度も起こる。こういうのを計算しないといけない。おかげで、エータ・プライム中間子の計算は、パイ中間子よりもはるかに時間がかかる大変な話になる。そして、出てきた結果も誤差が大きい。ここではなかなか精密計算と呼べる段階にまでは到達しそうもない。

このようにクォークが途中で反クォークと出会って対消滅するような過程は、他にもいろんなところで起こり、そこではクォークの束縛状態と考えるとうまくいかないことが多い。量子色力学の特徴とも言えるこういう状態は、格子QCD計算にとっても難問だ。この話を長々としてきたのは、これがK中間子崩壊にもあてはまるせいだ。次回はそのことを紹介してみたい。

2020年12月19日土曜日

箱の大きさが状態を決める

大学で物理学を学んだときに最初に感動したのはネーターの定理だった。空間を並行移動したときに物理法則が変わらないことを要求すると運動量の保存則が導かれる。時間を並行移動からはエネルギーの保存則が得られる。それまではそういうものだと思っていた法則が、より基本的な性質から導出されるのは感動的ですらある。こういうところから物理学にはまった人は多いのではないか。

格子QCD計算では、そもそも定式化の一番初めに虚時間を導入する。おかげで通常の意味でのエネルギーの保存則が成り立たなくなってしまうという話をした。K中間子の崩壊を計算しようとするとき、これが問題になる。なぜなら、崩壊で出てくる2つのパイ中間子は、エネルギーの保存則を満たすような運動量をもつペアではなく、むしろ運動量がゼロ、そして全体のエネルギーが小さいものが出てきてしまうからだ。そんなものを計算したいわけではない。逆に、ちょうどいいエネルギーをもつ状態だけを取り出そうとしてもフーリエ解析ができないので難しい。これも虚時間のせいだ。

ではどうするのか。実際にK中間子崩壊の計算を成功させたグループがやったのは、パイ中間子にうまい境界条件を与えることだった。計算できる格子の体積は有限なので、通常は周期的境界条件、つまり格子の端っこまで行くと反対の端っこにつながっているような箱を考える。もちろんこれでは現実の世界とは異なるので、最終的には体積を大きくする極限を取らないといけない。あとでそれはやることにして、当面は周期的境界条件をとる。こういう有限の箱の中では、波の波長に制限ができる。ちょうど箱全体の長さに相当する波長、その半分の波長、3分の1の波長、という具合に、決まった波長の波しか許されない。量子力学にでてくる波動関数の波長は運動量の逆数に関係している(その比例定数がプランク定数)ので、これは決まった運動量しか許されないことを意味する。だから、箱の中のパイ中間子には、箱の大きさで決まるある単位で0、1、2、... の運動量だけが許される。この境界条件だと運動量ゼロの状態が許されているが、もしうまい境界条件、例えば箱の端っこが反対の端っこに逆向き(つまりマイナス1をかけて)つながっているような境界条件をとると、今度は運動量ゼロは許されず、1/2, 3/2, 5/2, ... の運動量をもつようにすることができる。こうしておくと、そもそも運動量ゼロの状態は存在できない。こういう制限をつけた上で、箱の大きさを調節して、この最低運動量がちょうどK中間子崩壊で出てくるパイ中間子と同じになるようにしておく。これなら計算して出てきた状態が欲しい状態になっている。こういうトリックを使ったのだった。

これはいつでも使えるトリックではない。K中間子崩壊の計算に専用の格子を作る必要があるし、その体積がむやみに大きかったり小さかったりしてはいけない。たまたまK中間子崩壊がちょうどいい運動量のパイ中間子を生成するのがミソだったりする。例えば、B中間子の崩壊を考えてみよう。B中間子もパイ中間子2個に崩壊することがある。実際、この崩壊もCP対称性の破れを考える上で便利なので、詳しく調べてみたい現象の一つだ。ところが、B中間子はK中間子よりも10倍重いので、エネルギーの保存則を満たすために、出てくるパイ中間子の運動量はずいぶん大きくなる。この運動量に合わせるような格子を用意しようと思うとずいぶん小さい箱になってしまって、そこにはそもそもB中間子が入らない。これでは話にならないのでこのやり方は使えない。B中間子崩壊で出てくるパイ中間子2個の状態には、それよりエネルギーが低い状態が無数にあるので、そこから欲しい状態だけを取り出すのはほぼ不可能だ。こういう事情で、B中間子のパイ中間子2個への崩壊の計算は当分実現しそうにない。日本でやっているBファクトリー実験で測定されている現象なのに、対応する計算ができないのは残念なことだが。

2020年12月5日土曜日

ゴミ箱を広げてみると...

研究というものは、うまくいくことはほとんどない。だからよい結果が出なくても悲観しなくてもいい。学生さんたちにはそう言うことにしている。でも私自身が内心がっかりしているのが顔に出ているかもしれない。

何かをやってみようというとき、「これができたらすごい」とか「誰もやってないし、いまやったら画期的」とかいろいろ想像して、ついでに論文がアクセプトされたりセミナーに招かれて称賛されるところまで想像して研究を始めたりする。それが翌日には、ただの勘違いだったり、全然うまくいかなかったりするのもいつものことだ。あたりまえの話で、自分が天才でない以上、ちょっと考えてできるようなことはとっくに誰かがやっていて、残った問題は重箱の隅にあるどうでもいい問題か、どうしようもない難問ばかりだ。そんななかで自分の特色を出していかないといけない。研究を職業にするのはつらい話ではある。(ついでながら、翌日に気づくというのは賢い証拠(!)で、これが翌週だったり翌月だったりすると、研究は全然進捗しないということになる。それでは商売にならない。)

虚時間を導入して得られた格子QCDのデータは、時間とともに複素位相が回転する本来の波動関数ではなく、時間とともに減衰する波動関数だ。そこから読み取ることのできる情報は、まずはエネルギー最低の状態。これは十分に時間がたつと他の状態はすべて先に減衰してなくなるので自然と得られる。では、他には? 本当ならこの波動関数はいろんな状態の重ね合わせでできていて、うまくやればどんな状態がどれだけ入っているか読み取れるはずだ。そう、原理的には。その情報は減衰の速さの中にすべて畳み込まれている。減衰の速さの微妙な違いを仕分けることができれば、エネルギースペクトルが得られる。

というのは、もちろん最初から誰もがわかっていた。だからもう30年前とかに試してみた人もいる。数学的には簡単な話だ。スペクトル(ある決まったエネルギーをもつ状態の数)を求めるには、いろんな異なる時刻の波動関数を足したり引いたりすればいい。うまい組み合わせを作ると、ちょうど望みの減衰率をもつ状態を取り出すことはできる。やってみると、異なる時刻の差によって100万1ー100万=1を求めるような、とんでもない相殺のあげく結果が得られることがわかる。もともとあったデータにも誤差(ノイズ)があるので、これではまともな答えは得られない。だからこの問題は忘れ去られた。

ところが、こういう難しい問題には、いろんな人が違う角度からチャレンジするもので、何度も取り上げられてきた。一番簡単なのは、減衰率が異なる状態が2つとか3つとかあると思って関数を作り、データにあてはめて減衰率(つまりエネルギー)を求めるやり方だ。これはそれなりにうまくいく。問題は、こうして得られたエネルギーと実際のスペクトルが対応している保証がないことだ。該当するエネルギーの近くには、本当はいくつも状態が隠れていて、それらをまとめたものがたまたま得られただけかもしれない。実際、予想されるエネルギーとは全然違う結果が得られることは多く、それどころかやるたびに結果が変わることすらある。結局、こうして得られた励起状態のエネルギーは「ゴミ箱」と呼ばれて、いろんなゴミを詰め込んだものがわかっただけだ、ということになるのが普通だ。

他にもいろんなやり方が「発明」された。最大エントロピー法とか、ベイズ統計にもとづく方法は、統計的にはこうなるべきだ、という知識(というか願望)をインプットして、データのあてはめを手助けする。そうして得られた結果はある程度もっともらしく見えることもあって、そこから何らかの予言を引き出そうという話につながる。ただし、正しいことが保証されているわけではないのに加えて、ナンセンスな結果が得られることもあって、解決策というにはほど遠い。そもそも、真の情報を得るには大きな相殺を必要とし、それはノイズで埋もれている以上、もともとそこに存在しない情報を引き出そうとしていると考えるべきなのかもしれない。

ではどうするのか。他にもいろんな方法が提案されては、それらの良し悪しが議論され、そのためのワークショップが開催されたりしている。今後もそういう状況が続くだろう。私の感覚では、これは実りのない作業だ。そもそも手にしているデータに、欲しい情報は含まれていない。むしろ残った情報からどんな有用な結論を導けるかを考えた方がよい。(もちろん、私の言うことなので間違っている可能性は大いにある。どこかに画期的なアイデアはないかなあ。)

間違った方向に進んできたのか?

なぜ時間があるのか? なぜ時間は1次元だけなのか? 物理学を学び始めた人はこういう問いをもつことがあるかもしれない。特殊相対性理論まで学ぶとなおさらだ。時間と空間は単純に分離できるものではなくからみあっている。そのからみ方は、時間だけを虚数にとってみると、ちょうど空間をそのまま4次元に拡張したときの(4次元の)回転対称性を見ているかのようだ。もともとすべてが空間だけだったら、いろんな物理法則はもっとすっきりして見える。

現在の格子QCD計算の抱える問題の多くは、理論のなかの時間を虚数に取ったところに根っこがある。そうすることで、4次元の回転対称性で理論が簡単になるだけでなく、モンテカルロ法による数値計算が可能になるという決定的なメリットがあってやっていることなので、一概に問題というわけではない。それに、複素関数の解析性という魔法のような性質があるおかげで、虚数だった時間を実数に戻すことは原理的にはできる。「原理的には」というのは便利な言葉で、すべてが完璧だったときというあり得ない想定の話をしている。つまり、格子間隔をゼロにとる極限が無限によい精度で得られたという想定だ。解析関数が変数の実軸上であたえられたら複素平面上に拡張していくことができるので、虚軸上での値もわかり、つまりこれが実時間に相当する。もちろんこれは関数が連続的に、かつ厳密にわかっているときにできるのであって、数値計算を必要とする格子QCDでは望むべくもない。そこからいろんな問題が出てくる。理論の一番基礎になるところが問題なので、根本的に解決するにはすべてを基礎から作り直すしかない。だから量子計算だ、という話になるのだが、道ははるかに遠く、QCDの計算に使えるのはいつになるか見当もつかない。

虚時間の何がそんなにいけないのか、少し考えてみよう。量子力学では、波動関数の時間発展は複素数の位相回転としてあらわされる。回転の速さは、その波動関数があらわす状態のエネルギーに比例する。だから、決まったエネルギーをもった状態なら話は簡単で、決まった速さで位相がくるくる回るわけだ。だが、量子力学では複数の状態が重ね合わせになって同時に存在することができる。そのときの波動関数は複数の波動関数の和であらわされる。複数の状態が別々のエネルギーをもっていると、時間発展による位相の回転は状態ごとに別の速さになるので、位相の回転がそろわず、ちょうど波のうねりのように互いに強めあったり打ち消しあったりを繰り返す。さらに状態の数を増やすともっとめちゃくちゃになり、最終的には無限個の状態を重ね合わせるので、もはや位相の回転なのかどうかすらよくわからなくなるだろう。

こういうめちゃくちゃな時間発展が与えられたときに、個別のエネルギーを抜き出すにはフーリエ解析という手法を使えばよい。音を周波数ごとに分離したり、光を波長ごとに分離するのと同じ話だ。知りたい周波数の波を重ね合わせて共鳴する部分を取り出す。十分に長い時間にわたって波動関数がわかっていれば、これは必ずできる。

問題はこれが虚時間になったときだ。以前にも一度説明したが、虚時間では複素数の位相回転は起こらない。波動関数の位相は動かず、ただ減衰するのみ。その減衰の速さがエネルギーに比例する。エネルギーの高い状態は速く減衰し、低い状態はなかなか減衰せず残る。格子QCDで得られる波動関数とはこういうものだ。ここから個別のエネルギーの状態を抜き出すにはどうすればいいだろうか。フーリエ解析のように波を重ね合わせて共鳴を調べるのでは無理だ。そもそも、エネルギーが少しだけ異なる状態は減衰の速さが少し違うだけなので、重ね合わせてしまうと分離するのはもはや困難だ。唯一可能なのは、エネルギーのもっとも低い状態を取り出すこと。減衰がもっとも遅いので、長い時間待っていれば他の状態がすべてなくなって、エネルギーの低い状態だけが残る。格子QCD計算でやっているのは主にこういうことだ。

それの何が問題なのか。もう一度 K中間子の崩壊を考えてみよう。パイ中間子2個に壊れる。パイ中間子2個ができて互いに逆方向に勢いよく飛び出していくとき、そのエネルギーの合計が元の K中間子の質量に相当する値になっている。エネルギーの保存則だ。ところが、虚時間ではエネルギーの保存則というものはない。おかげで、いろんなエネルギーの状態が全部出てくる。その中には現実の場合よりもパイ中間子のもつ運動量が小さく、そのエネルギーの合計が K中間子の質量よりも小さいものもある。極端な話、できた2個のパイ中間子が運動量を持たない、つまり静止していることも可能で、この状態がもっとも小さなエネルギーをもつ。格子計算は、これを含むいろんな状態がすべて現れることになる。その中からエネルギーがちょうど K中間子の質量に等しいものを選び出すことができれば、現実の K中間子崩壊を計算したことになるのだが、さっきも言ったように、これが難しい。エネルギー最低の状態に埋もれてしまい、必要なものが見えなくなってしまうからだ。