2020年10月27日火曜日

パイ中間子はなぜ軽いのか

素粒子物理と原子核物理の境目はどこにあるのだろう。学問に境界はない、わざわざ境界を設けるとはけしからんというお叱りを受けそうだが、 そういう人でも、予算や人事の話になると「我々の分野はXXで極めて重要」とか言い始めたりする。だから、この境目は学問分野というよりも政治力学や人の好き嫌いによって決まっているという気がしないでもない。それはいい。とにかくもっとも素直に考えると、素粒子物理はクォークを出発点と考えるのに対して、原子核物理は陽子・中性子を基本自由度と考えて、それらを組み合わせてできるいろんな原子核の性質を調べるという点で区別されるのではないか。クォークは閉じ込められて陽子・中性子の外には出てこないので、ここには大きな断絶があって、だから陽子・中性子を基本自由度に取るのは理にかなっている。最近は、原子核物理もクォークを出発点とした理解を目指す、というところまで進歩している。それどころか、高温で陽子・中性子が溶けてしまったクォーク・グルーオン・プラズマを調べているのは主に原子核分野の人たちだし、陽子の中のクォークの分布を調べているのも原子核分野の人が多い。あれ? 基本自由度で境界を決めるのはどうも無理があるということだろうか。

K中間子がパイ中間子2個に壊れる様子を考えたい。でも、今日は少し寄り道をしよう。なぜパイ中間子なのかという問題だ。パイ中間子は、数ある中間子のなかでももっとも軽い。次に軽い粒子と比べても質量は半分以下なので、中間子ができたらとにかくパイ中間子になるまで壊れていくことになる。陽子はこれ以上壊れないが、これまた数ある陽子の励起状態は、やはりどれもパイ中間子を放り出しながら壊れていき、最後は陽子が残ることになる。では、なぜパイ中間子だけが軽いのか、それも他と比べて極端に軽いのか。それがここでの疑問だ。

この疑問への答えは「自発的対称性の破れの結果」だということになっている。だがそれだけでは説明になっていない。どういうイメージか考えてみよう。固めのゴムボールを持っていると想像してほしい。ぎゅっと握りつぶすのにはかなりの握力がいる。一方で、そのままくるくる回すのは楽にできる。質量とは、力を加えたときの動かしにくさの指標なので、ゴムボールに加える力では、握りつぶす方向には質量が大きく、回す方向にはとても小さい言えるだろう。実際のパイ中間子でも同じことが起こっていると考えられている。つまり、空間の各点にゴムボールのようなものがあって、握りつぶす振動が伝わるモードと、回転方向の振動が伝わるモードがある。後者が現実のパイ中間子で、おかげでこの振動モード(=粒子)は他と比べてとても軽くなる。

イメージしてもらえただろうか。なるほどわかった、と思ってもらえればいいのだが、そうでなくても気にしなくてもよい。そもそも一番大事なことを飛ばしてしまったからだ。パイ中間子はクォークと反クォークでできていると言った。「自発的対称性の破れ」を説明したつもりのゴムボールの話には、クォークはどこにも出てこなかった。そんなのでいいはずがない。素粒子物理を志すものとしては、この仕組みのなかでクォークがどうなっているのか理解しなければ。

2020年10月24日土曜日

本当の闘いはこれからだ

LHC = 大型ハドロン衝突器という、妙に名前に工夫のない加速器がある。もちろん、ヨーロッパの CERN にある世界最大の加速器のことだ。陽子の束を2つ用意し、互いに逆向きに加速して正面衝突させる。陽子の中にはクォークやグルーオンがいくつもいるので、クォークとクォークがぶつかったり、グルーオンとクォークがぶつかったり、いろんなことが起こる。実際のところ、あまりにいろんな種類の衝突が起こり、そのほとんどは何の役にも立たないゴミの山だ。ごくまれにヒッグス粒子が生成されたりして、本当に調べたいのはそこなので、ゴミの山を避けて知りたいものだけを抽出する装置に工夫がこらされる。

あわれなことにゴミ扱いされてしまった衝突イベントでは何が起こっているのだろうか。例えば、逆方向からやってきたクォークとグルーオンがちょっとかすって通り過ぎる。それでも衝突エネルギーはむやみに大きいので、元からあった陽子を壊すには十分だ。陽子の中で衝突には参加しなかった他のグルーオンなども、ぶつかって弾き出されたクォークに引っ張られてついていこうとする。ただ、慣性があるので皆が素直についていくわけにもいかず、バラバラに壊れる。壊れて出てこようとするクォークやグルーオンは、困ったことに単独では存在できず陽子や中間子などの束縛状態を作らないと生き延びることができない。そこで、仲間を探して束縛状態を作ろうとする。ここでまた量子論のおかげで妙なことが起こる。周囲に仲間が見つからないクォークでも、真空から勝手に生まれたクォーク・反クォーク対から反クォークだけを相手として取り出して中間子を作ることができる。そうすると真空中から呼び出されたあげく余ってしまったクォークは、やはり一人ではいられないので、また真空から出てきたクォーク・反クォーク対から、というように延々と繰り返すことになる。真空から粒子をくみ出すにはエネルギーが必要なので、もともと持っていた運動エネルギーをそこに費やして、エネルギーがなくなるまで続くことになる。結果として起こるのは、いくつかの陽子や中間子がばらばらと出てくるイベントだ。

こうしたイベントの起こる確率を正確に計算する手段はいまのところ存在しない。あまりにも複雑で手に負えないせいだ。これを我々がゴミと呼ぶのは、理論家が負けを認めたくないためだと言うと言い過ぎだろうか。

主題に戻ろう。K中間子の崩壊の話だ。K中間子の多くは、パイ中間子2個に壊れる。そのきっかけは弱い力で、K中間子の中のストレンジ・クォークが W ボソンを出してアップ・クォークに変わるところから始まる。ここで出てきた W ボソンは、ダウン・クォークと反アップ・クォークを作る。ややこしくなってきた。少し整理しよう。もともとはストレンジと反ダウンだった。それが、アップ、ダウン、反アップ、そして元々あった反ダウン、という4つのクォークに変わることになる。ここから中間子を作るには、アップ・反アップ、ダウン・反ダウン、という組み合わせと、アップ・反ダウン、ダウン・反アップ、という組み合わせが考えられる。実際、これらはどちらも存在し、前者は中性パイ中間子2個、後者は荷電パイ中間子2個(プラスとマイナス)に相当する。この崩壊では、真空からクォーク・反クォーク対をくみ出す必要すらなく、相手を見つけることができた。これはラッキーな場合ではある。実際、K中間子がパイ中間子3個に壊れることもある。クォーク・反クォーク対を真空からもう一つ作り出してパイ中間子を一つ加えるわけだ。

さて、K中間子がパイ中間子2個に壊れる過程、これは LHC での陽子陽子衝突から出てくる数多くの粒子と比べると、かなりシンプルな話のように思える。では、これなら理論的に計算できるだろうか。つまり格子QCDで計算できるかという問題だ。実はそれが大変な話になる。少しずつみていくことにしよう。

2020年10月23日金曜日

広い世界でたまたま出会った

物理学を学ぶときは、式変形を一つずつ確認しては、頭の中で対応する現象をイメージする、その繰り返し。どちらが欠けても十分な理解には至らない。そのイメージの部分だけを抜き出して語ることにしたので、なんだか単にとりとめのない話になってしまっている。本当に学びたい人は、ちゃんとした教科書でどうぞ。

K中間子の質量を読み取る方法はわかった。K中間子の場が減衰する様子を調べればよい。最初は、K中間子の状態だけでなくその励起状態が混ざったものを見ることになるが、虚時間で離れるとエネルギーの高い励起状態はその分速く減衰するので、遠くまでいくとほとんどなくなってしまう。最後にはエネルギーの小さいK中間子だけが残るので、その減衰の速さを見れば、それがK中間子の質量だ。

減衰の速さだけではなく、残った波動関数の大きさからは何がわかるだろうか。そこからは、真空からK中間子の状態を作るときの波動関数がわかる。K中間子と同じクォーク・反クォークの組み合わせとスピン(=角運動量)をもった生成演算子と消滅演算子を使って、真空からK中間子を作ったり消したりするわけだが、その強さというか、効率がわかることになる。この生成・消滅演算子は、勝手に選べるものではあるが、もし自然界に存在する演算子をもってくると、現実のプロセスの確率を計算することに相当する。「自然界に存在する演算子」とは、弱い力が作る演算子のことで、Wボソンが飛んできてクォーク・反クォーク対に変わるときに現われる演算子のことだ。ここまでくると、ほぼ実際に起こる現象をそのまま計算するのに相当する。どこかからWボソンが飛んできてクォークと反・クォークに変わり、それがしばらくK中間子として飛んだあとで、またWボソンに戻る。こういう過程があったとしたら、その確率を計算するやり方がわかったということになる。

「自然界に存在する演算子」はこれだけではない。しばらく前まで、K中間子と反K中間子が互いに入れ替わる過程があるという話をした。そのなかでも、粒子と反粒子を入れ替えたときの非対称性(時間を反転したときの非対称性と言ってもよい)に効くのは、Wボソンとトップ・クォークを介してストレンジ・クォークがダウン・クォークに、同時に反ダウン・クォークが反ストレンジ・クォークに変わる過程だった。Wボソンもトップ・クォークもずいぶん重い粒子なので、それらが仮想的に飛べる距離は非常に短くなる。K中間子の中でふわふわと漂うクォークにとっては、ほぼ一点だと考えてもよい。つまり、この複雑な過程を一点で起こす生成かつ消滅演算子を考えることができる。これもある種の「自然界に存在する演算子」だ。

なるほど。この演算子が突然現われたときに、K中間子がどれだけの確率で反K中間子に変わるかを調べるには、実際にそういう過程を計算してみればよい。さっきと同じようにしてK中間子に対応するクォークと反クォークを作り、しばらく飛ばして励起状態がなくなったところを見計らって、今度はさっきの粒子・反粒子を入れ替える演算子を挿入する。そこでクォークと反クォークがそれぞれ一度消滅し、同時に別のクォークと反クォークが生成される。こうして生まれたクォークと反クォークをもう一度しばらく飛ばして励起状態がなくなったころに消滅演算子で消す。この過程全体の確率を計算することができそうだ。

計算のやり方はわかった。問題はその中で何が起こっているのかだ。粒子・反粒子が入れ替わるのは、空間のある一点に置かれた演算子のおかげだ。この演算子がはたらくためには、K中間子のなかのダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがある瞬間ちょうど同じ点にいて、演算子によって消される必要がある。普段は中間子のなかでふわふわと漂っているクォークと反クォークが、たまたま同じ点にいる確率を調べるという話になる。水素原子のなかの電子を思い浮かべるとよい。電子の波動関数は空間にある大きさで拡がっているが、それは原子の中心にもつながっている。波動関数全体の中で、たまたま中心にくるのはそれほど大きな割合ではないだろう。それと同じで、K中間子のなかでふわふわと拡がったクォークも、たまたま反クォークと出会うことがある。その瞬間に粒子・反粒子の入れ替える魔法が働いたときに、この過程が起こるというわけだ。

2020年10月17日土曜日

他の奴らが消えるまで待て

音楽家は楽譜を見るとすてきな音楽が頭の中で鳴り響くという。物理学者たるもの、数式を見るとすぐに物理現象が生き生きと想像できるはずだ。残念ながら私の場合はそうではない。もう長くやっているので、クォークがどんなものか頭の中にイメージができつつあるが、ずいぶんぼんやりしている。このぼんやりしたイメージを文章にしてみたい。どうなるだろうと思いながら書いてきた。案の定とてもごちゃごちゃした話になってしまった。私のイメージもやはりごちゃごちゃしているということか。

前回まで、クォークが真空中を伝わっていくようすを紹介してきた。 グルーオン場がつくるでこぼこの中を、クォークの場がときには勢いよく、ときにはひっかかったりしながら拡がっていく。背景のグルーオン場はランダムに突き動かされ、それら全部を合わせたものが最終的なクォークの波動関数を与える。本稿の目的はK中間子崩壊の計算をするというのはどういうことか、なぜ難しいのかを解説することだ。そこに話を戻そう。

K中間子をつくるダウン・クォークとストレンジ・クォークは、少しだけ質量の異なる別の粒子だ。だから、真空中の伝わりかたも微妙に異なる。これらのそれぞれが計算できたら、両者を組み合わせてK中間子をつくる。組み合わせるというのは、ダウン・クォークの場に、ストレンジ・クォークの場の複素共役(反粒子に相当する)を掛け合わせることだ。ただし、両者がもつスピンが逆向きになるものを掛け合わせないといけない。間違えるとK中間子ではなく、スピンの異なるK*中間子ができてしまう。とにかくこうして、K中間子の「場」ができた。クォークの場を2枚もってきて、片方を裏返してホッチキスで留めたようなものだろうか。

ただし、ここで一つ重大な間違いがある。K中間子の「場」と言ったが、これはK中間子のみをあらわすものではない。K中間子と同じ内容物(ダウン・クォークと反ストレンジ・クォーク)をもち、K中間子と同じスピン(この場合スピンはゼロ)をもった粒子は、なんでもこの場のなかに含まれている。現実の世界では何に相当するかというと、K中間子よりも質量、つまりエネルギーの大きい、数多くの励起状態のことだ。励起状態のなかには角運動量が異なるものもいろいろあるが、そのなかで同じ角運動量をもつものすべてということになる。実験できれいに見つかった状態もあるが、多くは複数の中間子が互いに飛び交うような散乱状態で、まあ要はめちゃくちゃな状態ということになる。K中間子の「場」はこういうすべての状態を表したものになっている。K中間子は、そのなかでエネルギーが最低のものを指すわけだ。

いろんな状態のなかからねらった状態だけを抜き出すのは、それなりに難しい。量子力学の波動関数は時間とともに位相が回転する。振動すると言ってもよい。振動数がその状態のエネルギーをあらわす。であれば、使うべき道具はフーリエ解析だ。さまざまな振動数がまざった波から狙った振動数のものを取り出すには、フーリエ変換してしまえばよい。ところが、覚えておられるだろうか、この計算では時間を虚数にしてしまっている。おかげで波動関数は振動ではなく減衰する。減衰する速さからエネルギーを読み取る必要がある。これではフーリエ解析は使えない。ただ幸いなことに、エネルギー最低の状態だけはうまく取り出すことができる。他の状態はより速く減衰するので、それを待てばよい。つまり、虚時間で十分に時間がたったときの波動関数を取り出せば、これが欲しかったK中間子の状態だ。

 

2020年10月11日日曜日

生まれながらにして排他的

「クォーク閉じ込めの謎」という言い方を聞くことがある。その本質は背景でランダムに揺れるグルーオン場だという話をした。わかってしまえばそれほど驚くべきことでもない。ただし、前回はある大事なことに目をつぶってきた。クォークと反クォークの対生成・対消滅だ。

「真空」とはエネルギーが最低になるような状態のことを言う。だったら何も起こらない平らな背景場が真空になりそうなものだ。ところが量子力学ではここにランダムなゆらぎが加わる。これが優勢になると、真空の波動関数はでたらめなグルーオン場をいろいろもってきた重ね合わせになる。この事情は熱統計力学と似ている。気体中にある数多くの分子は、本当はすべて静止しているときがエネルギー最低になるに決まっている。ところが温度がゼロでないときは、それ以外の状態、つまり分子がでたらめに飛び回る状態のほうが実現しやすい。単にそのほうが場合の数が多いせいだ。たまたますべての分子が静止した状態は、あってもいいがその確率はほとんどゼロに近い。場の量子論というのは、自由度の非常に多い統計力学とも考えることができる。

では、でたらめなグルーオン場のなかからクォークと反クォークが生まれて、しばらく飛んでから再び消えるような状態は考えられないだろうか。グルーオンと違ってクォークは質量をもつので、クォーク・反クォーク対を生むのにそれなりのエネルギーを必要とする。その分起こりにくいわけだが、アップ・クォークとダウン・クォークは質量が大きくないので余分なエネルギーをものともせずに真空中で活発に対生成・対消滅をくりかえす。これもやはりランダムに起こる量子的なゆらぎの一部で、ちゃんと取り入れないといけない。

実はこれが大変な話になる。クォークはフェルミオンなので、パウリの排他律というのに従う。2つのクォークは同じ状態を分け合うことはないという法則のことだ。それがどうしたと思われるかもしれないが、これがやっかいの元になる。対生成・対消滅は一つのグルーオン背景場のもとで複数起こりうる。4次元空間のなかであっちでもこっちでも対生成・対消滅。すると、あっちで生まれたクォークがこっちまで飛んできて邪魔をするかもしれない。なにしろある場所にはクォーク一つだけしか来られないので、そこは避けないといけない。もう一つ飛んできたら、先客の場所をすべて避ける必要がある。クォークが生まれて拡がっていく様子を計算することはできるのだが、複数が同じ場所にくるのを避けながらとなると難易度は上がる。しかも、組み合わせは無限にあるのだ。どうすればいいだろうか。

実際の格子QCD計算のなかでは、この問題は「ジワジワと」解決する処方箋をとる。いまあるグルーオン場は、その中でのクォークの対生成・対消滅を考慮したものになっていたとしよう。そこからグルーオン場がまたランダムな揺らぎを受けて少しだけ動く。前との違いは少しだけなので、クォークの対生成・対消滅の効果も少しだけ取り入れておけばいいだろう。だから、空間の各点から生まれたクォークが拡がってそれがグルーオン場の変化分をによる影響をどう受けるかを評価する。これを繰り返していくことで、最終的にはクォークの対生成・対消滅が多数起こったときの情報も取り入れることができる。問題は、これだとグルーオン場がジワジワとしか動かないことで、おかげでランダムにいろんなグルーオン場の状態を取り入れるにはずいぶん手間がかかることになる。もっとましなやり方がないのかと思わないでもない。

とにかくこうしてでてきたグルーオン場は、その上でクォークの対生成・対消滅が多数起こったことを「知っている」。このグルーオン背景場の上で拡がっていくクォーク場は、真空中に他のクォークが生まれたり消えたりする様子をすべて織り込み済みというわけだ。

2020年10月10日土曜日

すべてはここから

素粒子の相互作用を理解すれば、自然界の森羅万象はすべて計算してみせることができる。 ずっと昔にどこかでそういうことを言ったら、"More is different" を知らないのかと叱られたことがある。素粒子理論を研究している人は、どこかで原子核物理や物性理論を格下に見る意識がある。素粒子以外は、所詮どうやって計算するかという問題でしょ、というわけだ。それはある意味で正しいのだが、実現可能性という意味ではまったく話にならない。たとえ将来、量子コンピュータが実用化されたとしても、フェムト・メートル以下のスケールで本当の量子論が働いている自然界をすべて模倣するわけにはいかないのは当然のことだ。格子QCD計算では、いまようやく陽子(あるいは中性子)2個の世界の計算に四苦八苦している。実のところ、陽子1個でも問題は山積みだ。問題に応じて適切な自由度を探し出して近似する、そういう物理学の本質が無用になる時代はやってこないだろう。

 グルーオンがあちこちに山や谷をつくった4次元空間の中を、クォーク場が拡がっていく。ただし、背景にあるグルーオン場はこれ一つではない。量子論の原理にしたがってありとあらゆる地形をつくる。最終的にはそれらをすべて足し合わせたものが「真空」の波動関数をあらわすことになる。「真空の波動関数って何のこと?」と思われるかもしれない。「真空」という言葉の問題かもしれないが、ここで真空と呼んでいるのは単にエネルギーがもっとも小さくなる状態のことだ。水素原子の問題だったら、電子が一番下の軌道に落ち込んだときにエネルギーが最低になり、そのときの波動関数は中心に球形に拡がる。いま考えている真空の波動関数というのもこれに似ていて、空間全体に拡がるグルーオン場がエネルギー最低の状態を作ったときの「波動関数」のことだ。ただし、水素原子のときのようにある決まった形があるわけではなく、いろんな変な形をしたものを重ね合わせたものになっている。無限個の重ね合わせなので想像するのは難しい。

こういう変な背景のなかで拡がっていくクォーク場には何が起こるだろうか。まずわかるのは、クォーク1個だけの拡散は、背景のグルーオン場をすべて足し合わせていくとゼロになってしまうということだ。ちょっと想像しがたいかもしれないが、グルーオン場がつくる山や谷は正負だけでなく複素数でいろんな値をとる(正しくは SU(3) という複素数の行列に値をとる)。複素数の位相がランダムに回転したものをすべて足し合わせていくといずれゼロになってしまうが、それと同じ理屈だ。クォーク場は拡がっていくが、背景の波動関数をすべて考慮するとゼロ。つまり、真空のなかではクォークが伝わっていく確率はゼロということになる。クォークは単独では存在できない。過去にいくつもの実験で分数電荷をもつクォークを見つけようとしたが、誰も成功しなかった。量子色力学という理論では、このことはランダムなグルーオンの背景場によって説明される。

それでもK中間子は存在する。なぜだろうか。中間子というのはクォークと反クォークが結びついたもののことだ。反クォークをあらわすにはクォーク場の複素共役をとればよい。ある複素数とその複素共役をかけると、絶対値の2乗になって必ず正の数になる。正の数はいくら足してもゼロになることはない。1つのクォークは存在できないのに中間子が存在する事実はこうして説明される。グルーオンの背景のなかでクォーク場は実際に拡がっていく。ただし、グルーオンの背景場をすべて足し合わせた真空中で生き残るためには、反クォークとセットになっている必要があるわけだ。

(もう一つ変なのがあった。クォーク3個でできている陽子と中性子だ。これは複素数だと考えていては説明できない。SU(3)という3行3列の複素行列の性質を考えないといけないのだが、それはいずれまた機会のあるときに。)

「クォークの閉じ込め」という性質がある。クォークは陽子・中性子や中間子のなかに閉じこもっていて決して単独で外に出てくることはない。不思議な性質だが、こうして考えてみるとそれほど変には感じないと思うがどうだろうか。量子色力学という理論のなかでは自然に説明されていて、もはや謎ではない。

とにかくこうして、真空中を飛ぶK中間子を計算できるようになった。K中間子だけではない。いろんなクォークと反クォークを組み合わせた中間子は、すべてこうやって計算できる。クォークは(ある単位で) +1/2 と -1/2 のスピン(自転のこと)をもつので、その向きに応じていろんな組み合わせができる。プラスとマイナスを組み合わせてゼロになったもの(パイ中間子やK中間子など)、プラスとプラスを組み合わせて全体がスピンを持つもの(ロー中間子や K* 中間子など)や、クォークと反クォークが互いの周りを回転しているものを考えてもよい。中間子はそれこそ何十個も見つかっているが、それらは例外なくこうして真空中を拡がっていくクォーク場を組み合わせて計算できるのだ。

2020年10月9日金曜日

振動か減衰か

 複素関数論というのは、いくつになっても本当にわかった気がしない。理屈はわかるんだけど、そこから出てくる結論があまりにアクロバットな感じがして得心しないと言うべきだろうか。コーシー積分がなぜああなるのかを頭の中に絵のように思い浮かべて納得できる人はいるのだろうか。それと同じように、振動をあらわす三角関数と減衰をあらわす指数関数が同じ関数の2つの側面だというのも突飛すぎてなかなか想像できない。陳腐な言い方だが、数学ってすごい。

場の量子論ももちろん数学を使って書かれているので、こういう性質をめいっぱい使うことになる。もうずっと前に学んだときから今に至るまで、本当にわかった気がしないことに、「ウィック回転」というのがある。時間を虚数に取り替えていろんな量を計算しても、最後にもう一度虚数から実数に戻せば正しい結果が得られるという話だ。たいていの教科書ではそういうものだということでさらっと通り過ぎるので、皆あまり深く考えずに使っていたりする。私も最近になってようやくその意味が少しずつわかってきた気がしている。たぶんかなり遅い方だろう。

クォークやグルーオンの波をあらわす「場」があるという話をした。ディラック方程式というのを解くと、電子やクォークの波に相当する関数が出てくる。電子が実際に波だというのは、(惜しくも亡くなられた)外村彰先生が電子顕微鏡の実験で示された通りだ。現実の世界はそれでいい。ところが、格子理論での計算というのはすべて時間を虚数に取り替えた「虚時間」というのでやることになっている。これだと波の振動をあらわす三角関数が、減衰をあらわす指数関数になってしまう。だから、格子理論の計算では振動する「波」は出てこない。すべては減衰するのみだ。

虚時間を取ると、時間と空間の区別がなくなる。空間3次元と時間をもつ世界は、虚時間にすると単に空間4次元の世界になる。4次元空間のなかでクォークはグルーオンが作り出すランダムな山や谷の間を拡がっていくわけだが、これはクォークの「波」というよりも、むしろ水に落としたインクが水の中を広がっていくのをイメージしたほうがよい。クォークは4次元の空間の中を拡がっていく。もはや時間と空間の区別はない。全方向に拡がるのみだ。

空間の1点にストレンジ・クォークと反ダウン・クォークの種を置くと、どちらも拡がっていく。離れた別の点で再びストレンジ・クォークと反ダウン・クォークのペア測定してみると、元の点からの距離に応じて減衰していくだろう。2つのクォークは、途中では空間のいろんな場所を通って拡散してきたのだが、それがまた同じ点に戻る様子を観測することになる。距離に応じて減衰していく関数。この距離が虚時間だったことを思い出して、元の時間に戻してみよう。すると減衰する関数は、時間とともに振動する関数に戻る。これが量子力学ででてくる波動関数の時間発展に相当する。量子力学では、波動関数は複素数であらわされ、その位相が時間とともに回転する。その振動数がエネルギーに対応するわけだ。つまり、4次元空間中のクォークの拡散の様子を調べると、K中間子のエネルギーが読み取れることになる。エネルギー、つまり質量のことだ。

2020年10月3日土曜日

荒波のなかを漕ぎ出すクォーク

ファインマン・ダイヤグラムというのがある。クォークが飛んできてグルーオンを放出し、そのグルーオンを他のクォークが吸収してまた飛び去る様子を矢印のついた線や波線であらわす。場の量子論の摂動計算は、このダイヤグラムを描いて対応する数式を当てはめていけばできるというとても便利なものだ。毎日こういう図を見ていると、実際のクォークもこんなふうにグルーオンを「キャッチボール」して力を及ぼしあっているというイメージを持ってしまうのだが、これは現実に起こっていることのイメージとしてはいまいちだ。じゃあ実際はどうかと言われると、それはなかなかやっかいなのだが。

グルーオンをあらわす場をランダムに揺らすことで量子論を反映できるという話をした。空間中に広がった場の各点ででたらめに揺れるグルーオンの「場」ができあがった。これを無限にくり返して平均すると、量子化が完成する。これが、グルーオンのつくる「真空」ということになる。まだ何もなく、ただでたらめに揺れるグルーオン場だけがある。ここにクォークを飛ばすとどうなるか。

何もない空間にクォークを生成するにはタネをまく必要がある。このタネは強い力の理論である量子色力学とは別のところにあると思うことにしよう。反ストレンジ・クォークとダウン・クォークを作るタネ(生成演算子という)を空間の一点に置いてみる。そうすると、クォーク場のしたがう方程式(ディラック方程式のことだ)にしたがってクォーク場が広がることになる。ディラック方程式というのは、シュレーディンガー方程式を拡張したもので、要は波を表すような方程式だ。一点にタネを置くと、そこを中心にして波が広がっていく。池に石を投げ込むと波が円を描きながら広がっていく、あれと同じことだ。違うのは水面が平らではないこと。グルーオンをあらわす場はかなりでたらめに揺らいでいる。静かな池というよりも台風に襲われた外海の荒波というべきだろう。そこにタネをまくと、荒波に負けずにクォーク場が広がる。ただし、今度はきれいに円を描いて進むわけにはいかない。あっちこっちにある山や谷に引っかかったり落ち込んだりしながら進むことになる。遠く離れたところで、反ストレンジ・クォークとダウン・クォークの波がどれだけ伝わってきたかを調べてみれば、それがすなわち K 中間子を見ることに相当する。ただし、先にも話したとおり、背景になるグルーオン場はこれ一つではなく、さらにランダムに揺すぶられて変化していく。それらをすべて含めたものが K 中間子をあらわすわけだ。

クォーク場は方程式にしたがって広がると言った。あれ? 量子化によってクォーク場もグルーオン場と同じようにランダムに揺さぶられるんじゃないの? と思った人は非常に鋭い。上記では、クォークが勝手に生まれたり消えたりする量子論による効果が取り入れられていない。クォークの数は保存するので、正しくはクォークと反クォークが対を作って生まれたり消えたりするはずなのだが、それが無視されている。当面、量子化の一部をさぼってイメージをつくっていくことにしよう。クォークは単に空間を広がっていくのだ。


2020年10月2日金曜日

ごちゃごちゃの中に答えはある

秋の涼しいさわやかな空気を満喫しておられるだろうか。せっかくだから風を感じながら野外でのんびり散策など楽しみたい。だが、空気などの気体は、よく細く見てみると小さな分子が互いにぶつかり合いながらめちゃくちゃに動き回っているらしい。さわやかな風からは想像できないが、分子は毎秒1キロメートル以上の高速で飛び回り、私たちの体にぶつかっている。それでも涼しい顔でいられるのは面の皮が厚いからか。

クォークとグルーオンの理論を解きたい。グルーオンは勝手に自己増殖するので、その個数はわからない。何個あるかわからないグルーオンのそれぞれに波動関数があるはずで、そのすべての組み合わせに対応する波動関数をすべて求めるのは無理な話だ。だから、場の量子論の計算では少し違う考え方をとる。まず、すべての波動関数を求めることはあきらめる。その代わりに、実験と比較するために必要な量が求まったらそれで満足しよう。当面それで十分ではある。(将来の量子計算では、この制限はなくせるかもしれない。すべての粒子数に対応する波動関数とその重ね合わせを計算してしまおうという壮大な夢は、あるにはある。)

実際にはどうするか。まずは何もないところから始めるとしよう。「場」の理論なので、空間のすべての点にグルーオンの波をあらわす場の変数が置かれていて、これが振動する。最初はすべての点で何もない、つまり場の変数がゼロだったとしよう。しかし、これは量子論なのでこのままではすまない。量子力学では変数の値を一つに固定しておくことができず、ゆらぎが生ずる。これを実現するにはいろんなやり方があるが、その一つは、空間のすべての点の場の値をランダムに動かしてみることだ。ただし、むやみに動かすわけではない。空間に広がる波の形があまりにトゲトゲになるようなことは起こりにくく、できるだけ滑らかになるものが実現する。これを保証しているのがいわゆる運動方程式というやつで、ランダムなゆらぎさえなければ、場の変数は運動方程式にしたがって秩序だって揺れて波をつくる。池の水面の波のような、予想可能な波だ。量子論では、これにランダムな揺らぎが加わる。しかも空間の各点で別々の揺らぎだ。これが量子力学でいうところの波動関数の広がりを作り出すことになる。

こうして「場」が動き始めた。波打つ場の様子は、実際の時間変化をあらわしているわけではない。単に、量子力学にしたがう揺らぎを作り出すための方便だ。波動関数はそれ自身が実体で、空間に広がった何かだが、今の場合、グルーオンの場の変数自身がすでに空間全体に広がっている。その変数の空間の各点での揺らぎがさらに、あるやり方で幅をもっており、これが量子化による不確定性ということになる。動き続ける場は、その(仮想的な)時間平均を取ると、全体として場の揺らぎを表現する波動関数を与えることになる。

ここにはグルーオンの個数という概念はもはやない。適当に波打ち、変化し続ける場がそこにあるだけだ。その全体がある種の波動関数を与えているということになる。ちょっと難しいだろうか。場の量子論の最初の難関である、「第二量子化」の手続きをだいぶはしょって説明してみた。本当に理解するには分厚い教科書を読む必要があるが、イメージを持つだけならこれで十分だろう。

別の言い方で、ファインマンの「経路積分」というのがある。これも同じことなのだが、空間の各点に置かれた場の変数のそれぞれを、マイナス無限大からプラス無限大まで動かして積分を計算せよという理論で、結果は上記のランダムな場の動きと同じになる。上記のほうが実際に行うシミュレーションに近く、したがって私のイメージにも近いので、そちらで紹介してみた。

だが、まだ何も起こってない。何もない「真空」中をあらわす場がゆらゆらしているだけだ。ここに実際の粒子を飛ばしてみなくてはならない。