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2020年10月11日日曜日

生まれながらにして排他的

「クォーク閉じ込めの謎」という言い方を聞くことがある。その本質は背景でランダムに揺れるグルーオン場だという話をした。わかってしまえばそれほど驚くべきことでもない。ただし、前回はある大事なことに目をつぶってきた。クォークと反クォークの対生成・対消滅だ。

「真空」とはエネルギーが最低になるような状態のことを言う。だったら何も起こらない平らな背景場が真空になりそうなものだ。ところが量子力学ではここにランダムなゆらぎが加わる。これが優勢になると、真空の波動関数はでたらめなグルーオン場をいろいろもってきた重ね合わせになる。この事情は熱統計力学と似ている。気体中にある数多くの分子は、本当はすべて静止しているときがエネルギー最低になるに決まっている。ところが温度がゼロでないときは、それ以外の状態、つまり分子がでたらめに飛び回る状態のほうが実現しやすい。単にそのほうが場合の数が多いせいだ。たまたますべての分子が静止した状態は、あってもいいがその確率はほとんどゼロに近い。場の量子論というのは、自由度の非常に多い統計力学とも考えることができる。

では、でたらめなグルーオン場のなかからクォークと反クォークが生まれて、しばらく飛んでから再び消えるような状態は考えられないだろうか。グルーオンと違ってクォークは質量をもつので、クォーク・反クォーク対を生むのにそれなりのエネルギーを必要とする。その分起こりにくいわけだが、アップ・クォークとダウン・クォークは質量が大きくないので余分なエネルギーをものともせずに真空中で活発に対生成・対消滅をくりかえす。これもやはりランダムに起こる量子的なゆらぎの一部で、ちゃんと取り入れないといけない。

実はこれが大変な話になる。クォークはフェルミオンなので、パウリの排他律というのに従う。2つのクォークは同じ状態を分け合うことはないという法則のことだ。それがどうしたと思われるかもしれないが、これがやっかいの元になる。対生成・対消滅は一つのグルーオン背景場のもとで複数起こりうる。4次元空間のなかであっちでもこっちでも対生成・対消滅。すると、あっちで生まれたクォークがこっちまで飛んできて邪魔をするかもしれない。なにしろある場所にはクォーク一つだけしか来られないので、そこは避けないといけない。もう一つ飛んできたら、先客の場所をすべて避ける必要がある。クォークが生まれて拡がっていく様子を計算することはできるのだが、複数が同じ場所にくるのを避けながらとなると難易度は上がる。しかも、組み合わせは無限にあるのだ。どうすればいいだろうか。

実際の格子QCD計算のなかでは、この問題は「ジワジワと」解決する処方箋をとる。いまあるグルーオン場は、その中でのクォークの対生成・対消滅を考慮したものになっていたとしよう。そこからグルーオン場がまたランダムな揺らぎを受けて少しだけ動く。前との違いは少しだけなので、クォークの対生成・対消滅の効果も少しだけ取り入れておけばいいだろう。だから、空間の各点から生まれたクォークが拡がってそれがグルーオン場の変化分をによる影響をどう受けるかを評価する。これを繰り返していくことで、最終的にはクォークの対生成・対消滅が多数起こったときの情報も取り入れることができる。問題は、これだとグルーオン場がジワジワとしか動かないことで、おかげでランダムにいろんなグルーオン場の状態を取り入れるにはずいぶん手間がかかることになる。もっとましなやり方がないのかと思わないでもない。

とにかくこうしてでてきたグルーオン場は、その上でクォークの対生成・対消滅が多数起こったことを「知っている」。このグルーオン背景場の上で拡がっていくクォーク場は、真空中に他のクォークが生まれたり消えたりする様子をすべて織り込み済みというわけだ。

2020年10月10日土曜日

すべてはここから

素粒子の相互作用を理解すれば、自然界の森羅万象はすべて計算してみせることができる。 ずっと昔にどこかでそういうことを言ったら、"More is different" を知らないのかと叱られたことがある。素粒子理論を研究している人は、どこかで原子核物理や物性理論を格下に見る意識がある。素粒子以外は、所詮どうやって計算するかという問題でしょ、というわけだ。それはある意味で正しいのだが、実現可能性という意味ではまったく話にならない。たとえ将来、量子コンピュータが実用化されたとしても、フェムト・メートル以下のスケールで本当の量子論が働いている自然界をすべて模倣するわけにはいかないのは当然のことだ。格子QCD計算では、いまようやく陽子(あるいは中性子)2個の世界の計算に四苦八苦している。実のところ、陽子1個でも問題は山積みだ。問題に応じて適切な自由度を探し出して近似する、そういう物理学の本質が無用になる時代はやってこないだろう。

 グルーオンがあちこちに山や谷をつくった4次元空間の中を、クォーク場が拡がっていく。ただし、背景にあるグルーオン場はこれ一つではない。量子論の原理にしたがってありとあらゆる地形をつくる。最終的にはそれらをすべて足し合わせたものが「真空」の波動関数をあらわすことになる。「真空の波動関数って何のこと?」と思われるかもしれない。「真空」という言葉の問題かもしれないが、ここで真空と呼んでいるのは単にエネルギーがもっとも小さくなる状態のことだ。水素原子の問題だったら、電子が一番下の軌道に落ち込んだときにエネルギーが最低になり、そのときの波動関数は中心に球形に拡がる。いま考えている真空の波動関数というのもこれに似ていて、空間全体に拡がるグルーオン場がエネルギー最低の状態を作ったときの「波動関数」のことだ。ただし、水素原子のときのようにある決まった形があるわけではなく、いろんな変な形をしたものを重ね合わせたものになっている。無限個の重ね合わせなので想像するのは難しい。

こういう変な背景のなかで拡がっていくクォーク場には何が起こるだろうか。まずわかるのは、クォーク1個だけの拡散は、背景のグルーオン場をすべて足し合わせていくとゼロになってしまうということだ。ちょっと想像しがたいかもしれないが、グルーオン場がつくる山や谷は正負だけでなく複素数でいろんな値をとる(正しくは SU(3) という複素数の行列に値をとる)。複素数の位相がランダムに回転したものをすべて足し合わせていくといずれゼロになってしまうが、それと同じ理屈だ。クォーク場は拡がっていくが、背景の波動関数をすべて考慮するとゼロ。つまり、真空のなかではクォークが伝わっていく確率はゼロということになる。クォークは単独では存在できない。過去にいくつもの実験で分数電荷をもつクォークを見つけようとしたが、誰も成功しなかった。量子色力学という理論では、このことはランダムなグルーオンの背景場によって説明される。

それでもK中間子は存在する。なぜだろうか。中間子というのはクォークと反クォークが結びついたもののことだ。反クォークをあらわすにはクォーク場の複素共役をとればよい。ある複素数とその複素共役をかけると、絶対値の2乗になって必ず正の数になる。正の数はいくら足してもゼロになることはない。1つのクォークは存在できないのに中間子が存在する事実はこうして説明される。グルーオンの背景のなかでクォーク場は実際に拡がっていく。ただし、グルーオンの背景場をすべて足し合わせた真空中で生き残るためには、反クォークとセットになっている必要があるわけだ。

(もう一つ変なのがあった。クォーク3個でできている陽子と中性子だ。これは複素数だと考えていては説明できない。SU(3)という3行3列の複素行列の性質を考えないといけないのだが、それはいずれまた機会のあるときに。)

「クォークの閉じ込め」という性質がある。クォークは陽子・中性子や中間子のなかに閉じこもっていて決して単独で外に出てくることはない。不思議な性質だが、こうして考えてみるとそれほど変には感じないと思うがどうだろうか。量子色力学という理論のなかでは自然に説明されていて、もはや謎ではない。

とにかくこうして、真空中を飛ぶK中間子を計算できるようになった。K中間子だけではない。いろんなクォークと反クォークを組み合わせた中間子は、すべてこうやって計算できる。クォークは(ある単位で) +1/2 と -1/2 のスピン(自転のこと)をもつので、その向きに応じていろんな組み合わせができる。プラスとマイナスを組み合わせてゼロになったもの(パイ中間子やK中間子など)、プラスとプラスを組み合わせて全体がスピンを持つもの(ロー中間子や K* 中間子など)や、クォークと反クォークが互いの周りを回転しているものを考えてもよい。中間子はそれこそ何十個も見つかっているが、それらは例外なくこうして真空中を拡がっていくクォーク場を組み合わせて計算できるのだ。