2021年3月14日日曜日

50年以上もわからなかったこと

素粒子にはこれこれの種類があって、相互作用はこれとこれ、まだわからない謎はこれ。素粒子物理は、素粒子の標準模型という形に整理されて基礎方程式もわかっているので、学ぶ側としてはわかりやすい。とは言え、そこに至る前にはさまざまな混乱があった。なかでも強い力にかかわる現象は混沌としていて、良く言えば多様な、悪く言えば場当たり的な理論があれこれ作られた。今にして思えば、複雑な内部構造をもつ粒子がぶつかったり壊れたりするのを扱っていたので、難しいのは無理もない。結局、素粒子物理はこの難しい強い力の問題を飛び越えて高エネルギーに進むことで、より小さなスケールでの法則を理解するという目標に到達することができたわけだが、実はその途中で見つかった難しい問題の多くは放置されてそのままになっている。K中間子の崩壊に関する ΔI = 1/2 則もその一つだ。 

「ΔI = 1/2 則」。何のことだろう。まず I (アイ)は前回も出てきたアイソスピンを意味する。Δ(デルタ)は差のことなので、これは反応の前後でアイソスピンが 1/2 だけ変化する過程に関する法則のことだ。K中間子がパイ中間子2個に崩壊するとき、パイ中間子2個の状態にはアイソスピンが2のものと0のものがあるというのを前回紹介した。一方で、K中間子にはダウンクォークが一つ入っていてアップクォークはないので、K中間子のアイソスピンは 1/2 になる。つまり、この過程では、アイソスピンが 3/2 (パイ中間子2個のアイソスピンが2の場合)、あるいは 1/2 (パイ中間子2個のアイソスピンが0の場合)だけ変化する振幅が存在することになる。ΔI = 1/2 則が言っているのは、アイソスピンが 1/2 だけ変化する過程の振幅が、もう一方よりずっと大きい、ということだ。何かの法則みたいな名前だが、何のことはない、実験で測られた結果を見るとそうなっている。もはや大昔、1950年代に発見されたことだが、具体的には、ΔI = 1/2 の振幅が、ΔI = 3/2 よりも22倍程度大きい。崩壊確率はこれを2乗するので、500倍近くの違いがあることになる。これはなぜだろうか。

量子色力学(QCD)が発見される前には、この現象を理解するすべは何一つなかった。QCD が確立したあとでも、この崩壊を計算することは容易ではなく、かなりおおざっぱな近似を用いた計算では、2倍の違いなら説明できそうだったが、22倍とはまだかなりの開きがある。そういうわけで、この問題はやはり難しいままで残されてきた。最終的な理解のためには、QCDの本当の計算を可能にする格子QCDシミュレーションに頼るほかない。

ところが、格子QCD計算を用いたとしても、これは容易な話ではない。まず終状態がパイ中間子2個の状態であり、それらの再散乱も含めた計算をしないといけない。それぞれのパイ中間子が特定の運動量をもった状態を抜き出さないといけない。このシリーズで以前に解説したが、それぞれ難しい問題だ。そして、ΔI = 1/2 、つまりパイ中間子2個がアイソスピン0をもつ状態がもう一つの大きなチャレンジとなる。アイソスピンが0ということは、全体としてはアップクォークもダウンクォークも存在しないということを意味する。最終的にはパイ中間子が2個出てくるのだが、そこに至る途中では、クォークと反クォークがすべて対消滅してグルーオンの背景場だけが残ったような状態を経由することもある。これも脱線中に紹介した η’(エータ・プライム)中間子の計算が難しいのと同じで、こういう状態を計算しようとすると計算の統計ノイズが大きくなってしまって、まともな結果が得られない。こういう困難を一つ一つ解決する必要があるのだ。

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