2020年10月10日土曜日

すべてはここから

素粒子の相互作用を理解すれば、自然界の森羅万象はすべて計算してみせることができる。 ずっと昔にどこかでそういうことを言ったら、"More is different" を知らないのかと叱られたことがある。素粒子理論を研究している人は、どこかで原子核物理や物性理論を格下に見る意識がある。素粒子以外は、所詮どうやって計算するかという問題でしょ、というわけだ。それはある意味で正しいのだが、実現可能性という意味ではまったく話にならない。たとえ将来、量子コンピュータが実用化されたとしても、フェムト・メートル以下のスケールで本当の量子論が働いている自然界をすべて模倣するわけにはいかないのは当然のことだ。格子QCD計算では、いまようやく陽子(あるいは中性子)2個の世界の計算に四苦八苦している。実のところ、陽子1個でも問題は山積みだ。問題に応じて適切な自由度を探し出して近似する、そういう物理学の本質が無用になる時代はやってこないだろう。

 グルーオンがあちこちに山や谷をつくった4次元空間の中を、クォーク場が拡がっていく。ただし、背景にあるグルーオン場はこれ一つではない。量子論の原理にしたがってありとあらゆる地形をつくる。最終的にはそれらをすべて足し合わせたものが「真空」の波動関数をあらわすことになる。「真空の波動関数って何のこと?」と思われるかもしれない。「真空」という言葉の問題かもしれないが、ここで真空と呼んでいるのは単にエネルギーがもっとも小さくなる状態のことだ。水素原子の問題だったら、電子が一番下の軌道に落ち込んだときにエネルギーが最低になり、そのときの波動関数は中心に球形に拡がる。いま考えている真空の波動関数というのもこれに似ていて、空間全体に拡がるグルーオン場がエネルギー最低の状態を作ったときの「波動関数」のことだ。ただし、水素原子のときのようにある決まった形があるわけではなく、いろんな変な形をしたものを重ね合わせたものになっている。無限個の重ね合わせなので想像するのは難しい。

こういう変な背景のなかで拡がっていくクォーク場には何が起こるだろうか。まずわかるのは、クォーク1個だけの拡散は、背景のグルーオン場をすべて足し合わせていくとゼロになってしまうということだ。ちょっと想像しがたいかもしれないが、グルーオン場がつくる山や谷は正負だけでなく複素数でいろんな値をとる(正しくは SU(3) という複素数の行列に値をとる)。複素数の位相がランダムに回転したものをすべて足し合わせていくといずれゼロになってしまうが、それと同じ理屈だ。クォーク場は拡がっていくが、背景の波動関数をすべて考慮するとゼロ。つまり、真空のなかではクォークが伝わっていく確率はゼロということになる。クォークは単独では存在できない。過去にいくつもの実験で分数電荷をもつクォークを見つけようとしたが、誰も成功しなかった。量子色力学という理論では、このことはランダムなグルーオンの背景場によって説明される。

それでもK中間子は存在する。なぜだろうか。中間子というのはクォークと反クォークが結びついたもののことだ。反クォークをあらわすにはクォーク場の複素共役をとればよい。ある複素数とその複素共役をかけると、絶対値の2乗になって必ず正の数になる。正の数はいくら足してもゼロになることはない。1つのクォークは存在できないのに中間子が存在する事実はこうして説明される。グルーオンの背景のなかでクォーク場は実際に拡がっていく。ただし、グルーオンの背景場をすべて足し合わせた真空中で生き残るためには、反クォークとセットになっている必要があるわけだ。

(もう一つ変なのがあった。クォーク3個でできている陽子と中性子だ。これは複素数だと考えていては説明できない。SU(3)という3行3列の複素行列の性質を考えないといけないのだが、それはいずれまた機会のあるときに。)

「クォークの閉じ込め」という性質がある。クォークは陽子・中性子や中間子のなかに閉じこもっていて決して単独で外に出てくることはない。不思議な性質だが、こうして考えてみるとそれほど変には感じないと思うがどうだろうか。量子色力学という理論のなかでは自然に説明されていて、もはや謎ではない。

とにかくこうして、真空中を飛ぶK中間子を計算できるようになった。K中間子だけではない。いろんなクォークと反クォークを組み合わせた中間子は、すべてこうやって計算できる。クォークは(ある単位で) +1/2 と -1/2 のスピン(自転のこと)をもつので、その向きに応じていろんな組み合わせができる。プラスとマイナスを組み合わせてゼロになったもの(パイ中間子やK中間子など)、プラスとプラスを組み合わせて全体がスピンを持つもの(ロー中間子や K* 中間子など)や、クォークと反クォークが互いの周りを回転しているものを考えてもよい。中間子はそれこそ何十個も見つかっているが、それらは例外なくこうして真空中を拡がっていくクォーク場を組み合わせて計算できるのだ。

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