2020年12月5日土曜日

間違った方向に進んできたのか?

なぜ時間があるのか? なぜ時間は1次元だけなのか? 物理学を学び始めた人はこういう問いをもつことがあるかもしれない。特殊相対性理論まで学ぶとなおさらだ。時間と空間は単純に分離できるものではなくからみあっている。そのからみ方は、時間だけを虚数にとってみると、ちょうど空間をそのまま4次元に拡張したときの(4次元の)回転対称性を見ているかのようだ。もともとすべてが空間だけだったら、いろんな物理法則はもっとすっきりして見える。

現在の格子QCD計算の抱える問題の多くは、理論のなかの時間を虚数に取ったところに根っこがある。そうすることで、4次元の回転対称性で理論が簡単になるだけでなく、モンテカルロ法による数値計算が可能になるという決定的なメリットがあってやっていることなので、一概に問題というわけではない。それに、複素関数の解析性という魔法のような性質があるおかげで、虚数だった時間を実数に戻すことは原理的にはできる。「原理的には」というのは便利な言葉で、すべてが完璧だったときというあり得ない想定の話をしている。つまり、格子間隔をゼロにとる極限が無限によい精度で得られたという想定だ。解析関数が変数の実軸上であたえられたら複素平面上に拡張していくことができるので、虚軸上での値もわかり、つまりこれが実時間に相当する。もちろんこれは関数が連続的に、かつ厳密にわかっているときにできるのであって、数値計算を必要とする格子QCDでは望むべくもない。そこからいろんな問題が出てくる。理論の一番基礎になるところが問題なので、根本的に解決するにはすべてを基礎から作り直すしかない。だから量子計算だ、という話になるのだが、道ははるかに遠く、QCDの計算に使えるのはいつになるか見当もつかない。

虚時間の何がそんなにいけないのか、少し考えてみよう。量子力学では、波動関数の時間発展は複素数の位相回転としてあらわされる。回転の速さは、その波動関数があらわす状態のエネルギーに比例する。だから、決まったエネルギーをもった状態なら話は簡単で、決まった速さで位相がくるくる回るわけだ。だが、量子力学では複数の状態が重ね合わせになって同時に存在することができる。そのときの波動関数は複数の波動関数の和であらわされる。複数の状態が別々のエネルギーをもっていると、時間発展による位相の回転は状態ごとに別の速さになるので、位相の回転がそろわず、ちょうど波のうねりのように互いに強めあったり打ち消しあったりを繰り返す。さらに状態の数を増やすともっとめちゃくちゃになり、最終的には無限個の状態を重ね合わせるので、もはや位相の回転なのかどうかすらよくわからなくなるだろう。

こういうめちゃくちゃな時間発展が与えられたときに、個別のエネルギーを抜き出すにはフーリエ解析という手法を使えばよい。音を周波数ごとに分離したり、光を波長ごとに分離するのと同じ話だ。知りたい周波数の波を重ね合わせて共鳴する部分を取り出す。十分に長い時間にわたって波動関数がわかっていれば、これは必ずできる。

問題はこれが虚時間になったときだ。以前にも一度説明したが、虚時間では複素数の位相回転は起こらない。波動関数の位相は動かず、ただ減衰するのみ。その減衰の速さがエネルギーに比例する。エネルギーの高い状態は速く減衰し、低い状態はなかなか減衰せず残る。格子QCDで得られる波動関数とはこういうものだ。ここから個別のエネルギーの状態を抜き出すにはどうすればいいだろうか。フーリエ解析のように波を重ね合わせて共鳴を調べるのでは無理だ。そもそも、エネルギーが少しだけ異なる状態は減衰の速さが少し違うだけなので、重ね合わせてしまうと分離するのはもはや困難だ。唯一可能なのは、エネルギーのもっとも低い状態を取り出すこと。減衰がもっとも遅いので、長い時間待っていれば他の状態がすべてなくなって、エネルギーの低い状態だけが残る。格子QCD計算でやっているのは主にこういうことだ。

それの何が問題なのか。もう一度 K中間子の崩壊を考えてみよう。パイ中間子2個に壊れる。パイ中間子2個ができて互いに逆方向に勢いよく飛び出していくとき、そのエネルギーの合計が元の K中間子の質量に相当する値になっている。エネルギーの保存則だ。ところが、虚時間ではエネルギーの保存則というものはない。おかげで、いろんなエネルギーの状態が全部出てくる。その中には現実の場合よりもパイ中間子のもつ運動量が小さく、そのエネルギーの合計が K中間子の質量よりも小さいものもある。極端な話、できた2個のパイ中間子が運動量を持たない、つまり静止していることも可能で、この状態がもっとも小さなエネルギーをもつ。格子計算は、これを含むいろんな状態がすべて現れることになる。その中からエネルギーがちょうど K中間子の質量に等しいものを選び出すことができれば、現実の K中間子崩壊を計算したことになるのだが、さっきも言ったように、これが難しい。エネルギー最低の状態に埋もれてしまい、必要なものが見えなくなってしまうからだ。

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