2020年12月19日土曜日

箱の大きさが状態を決める

大学で物理学を学んだときに最初に感動したのはネーターの定理だった。空間を並行移動したときに物理法則が変わらないことを要求すると運動量の保存則が導かれる。時間を並行移動からはエネルギーの保存則が得られる。それまではそういうものだと思っていた法則が、より基本的な性質から導出されるのは感動的ですらある。こういうところから物理学にはまった人は多いのではないか。

格子QCD計算では、そもそも定式化の一番初めに虚時間を導入する。おかげで通常の意味でのエネルギーの保存則が成り立たなくなってしまうという話をした。K中間子の崩壊を計算しようとするとき、これが問題になる。なぜなら、崩壊で出てくる2つのパイ中間子は、エネルギーの保存則を満たすような運動量をもつペアではなく、むしろ運動量がゼロ、そして全体のエネルギーが小さいものが出てきてしまうからだ。そんなものを計算したいわけではない。逆に、ちょうどいいエネルギーをもつ状態だけを取り出そうとしてもフーリエ解析ができないので難しい。これも虚時間のせいだ。

ではどうするのか。実際にK中間子崩壊の計算を成功させたグループがやったのは、パイ中間子にうまい境界条件を与えることだった。計算できる格子の体積は有限なので、通常は周期的境界条件、つまり格子の端っこまで行くと反対の端っこにつながっているような箱を考える。もちろんこれでは現実の世界とは異なるので、最終的には体積を大きくする極限を取らないといけない。あとでそれはやることにして、当面は周期的境界条件をとる。こういう有限の箱の中では、波の波長に制限ができる。ちょうど箱全体の長さに相当する波長、その半分の波長、3分の1の波長、という具合に、決まった波長の波しか許されない。量子力学にでてくる波動関数の波長は運動量の逆数に関係している(その比例定数がプランク定数)ので、これは決まった運動量しか許されないことを意味する。だから、箱の中のパイ中間子には、箱の大きさで決まるある単位で0、1、2、... の運動量だけが許される。この境界条件だと運動量ゼロの状態が許されているが、もしうまい境界条件、例えば箱の端っこが反対の端っこに逆向き(つまりマイナス1をかけて)つながっているような境界条件をとると、今度は運動量ゼロは許されず、1/2, 3/2, 5/2, ... の運動量をもつようにすることができる。こうしておくと、そもそも運動量ゼロの状態は存在できない。こういう制限をつけた上で、箱の大きさを調節して、この最低運動量がちょうどK中間子崩壊で出てくるパイ中間子と同じになるようにしておく。これなら計算して出てきた状態が欲しい状態になっている。こういうトリックを使ったのだった。

これはいつでも使えるトリックではない。K中間子崩壊の計算に専用の格子を作る必要があるし、その体積がむやみに大きかったり小さかったりしてはいけない。たまたまK中間子崩壊がちょうどいい運動量のパイ中間子を生成するのがミソだったりする。例えば、B中間子の崩壊を考えてみよう。B中間子もパイ中間子2個に崩壊することがある。実際、この崩壊もCP対称性の破れを考える上で便利なので、詳しく調べてみたい現象の一つだ。ところが、B中間子はK中間子よりも10倍重いので、エネルギーの保存則を満たすために、出てくるパイ中間子の運動量はずいぶん大きくなる。この運動量に合わせるような格子を用意しようと思うとずいぶん小さい箱になってしまって、そこにはそもそもB中間子が入らない。これでは話にならないのでこのやり方は使えない。B中間子崩壊で出てくるパイ中間子2個の状態には、それよりエネルギーが低い状態が無数にあるので、そこから欲しい状態だけを取り出すのはほぼ不可能だ。こういう事情で、B中間子のパイ中間子2個への崩壊の計算は当分実現しそうにない。日本でやっているBファクトリー実験で測定されている現象なのに、対応する計算ができないのは残念なことだが。

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