2020年10月27日火曜日

パイ中間子はなぜ軽いのか

素粒子物理と原子核物理の境目はどこにあるのだろう。学問に境界はない、わざわざ境界を設けるとはけしからんというお叱りを受けそうだが、 そういう人でも、予算や人事の話になると「我々の分野はXXで極めて重要」とか言い始めたりする。だから、この境目は学問分野というよりも政治力学や人の好き嫌いによって決まっているという気がしないでもない。それはいい。とにかくもっとも素直に考えると、素粒子物理はクォークを出発点と考えるのに対して、原子核物理は陽子・中性子を基本自由度と考えて、それらを組み合わせてできるいろんな原子核の性質を調べるという点で区別されるのではないか。クォークは閉じ込められて陽子・中性子の外には出てこないので、ここには大きな断絶があって、だから陽子・中性子を基本自由度に取るのは理にかなっている。最近は、原子核物理もクォークを出発点とした理解を目指す、というところまで進歩している。それどころか、高温で陽子・中性子が溶けてしまったクォーク・グルーオン・プラズマを調べているのは主に原子核分野の人たちだし、陽子の中のクォークの分布を調べているのも原子核分野の人が多い。あれ? 基本自由度で境界を決めるのはどうも無理があるということだろうか。

K中間子がパイ中間子2個に壊れる様子を考えたい。でも、今日は少し寄り道をしよう。なぜパイ中間子なのかという問題だ。パイ中間子は、数ある中間子のなかでももっとも軽い。次に軽い粒子と比べても質量は半分以下なので、中間子ができたらとにかくパイ中間子になるまで壊れていくことになる。陽子はこれ以上壊れないが、これまた数ある陽子の励起状態は、やはりどれもパイ中間子を放り出しながら壊れていき、最後は陽子が残ることになる。では、なぜパイ中間子だけが軽いのか、それも他と比べて極端に軽いのか。それがここでの疑問だ。

この疑問への答えは「自発的対称性の破れの結果」だということになっている。だがそれだけでは説明になっていない。どういうイメージか考えてみよう。固めのゴムボールを持っていると想像してほしい。ぎゅっと握りつぶすのにはかなりの握力がいる。一方で、そのままくるくる回すのは楽にできる。質量とは、力を加えたときの動かしにくさの指標なので、ゴムボールに加える力では、握りつぶす方向には質量が大きく、回す方向にはとても小さい言えるだろう。実際のパイ中間子でも同じことが起こっていると考えられている。つまり、空間の各点にゴムボールのようなものがあって、握りつぶす振動が伝わるモードと、回転方向の振動が伝わるモードがある。後者が現実のパイ中間子で、おかげでこの振動モード(=粒子)は他と比べてとても軽くなる。

イメージしてもらえただろうか。なるほどわかった、と思ってもらえればいいのだが、そうでなくても気にしなくてもよい。そもそも一番大事なことを飛ばしてしまったからだ。パイ中間子はクォークと反クォークでできていると言った。「自発的対称性の破れ」を説明したつもりのゴムボールの話には、クォークはどこにも出てこなかった。そんなのでいいはずがない。素粒子物理を志すものとしては、この仕組みのなかでクォークがどうなっているのか理解しなければ。

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