2020年9月27日日曜日

1つか2つか、それともたくさん?

本稿を書き始めた動機は、K中間子崩壊で測定されたCP対称性の破れを理論的に再現する格子QCD計算について紹介したいということだった。この問題には、格子QCD計算の難しさがあれもこれもすべて詰め込まれている。何がそんなに大変なのかを専門家でない人向けに紹介してみようというわけだ。自分の論文でもないのに数奇な話だと思わないでもないが、そちらはまたいずれ。ところが、この本題に入る前に、K中間子崩壊とCP対称性の破れという現象自体がややこしいので、その説明に紙数を要してしまった(それに実はまだ道半ばだ)。このあたりで、格子QCD計算について必要なところだけでも紹介しておきたい。

クォークと反クォークがグルーオンをやりとりして互いに引力を及ぼし、水素原子のような束縛状態をつくる。それが中間子だ。そういう説明がされることが多いかもしれない。間違いではないのだが、もう少し実際に近いイメージをもっておいたほうがいいだろう。まず、すべては量子力学にしたがうので、クォークもグルーオンも空間に広がった波動関数であらわされる。「素粒子」という言葉からイメージされる粒子ではなく、ぼわっと広がった波を考えるほうがよい。クォークの波と反クォークの波、それにグルーオンの波が重なりあいながら集まった状態、という感じだ。通常の量子力学では、電子をあらわす波動関数がポテンシャルのなかにおかれ、そのときのシュレーディンガー方程式を解けば状態がわかる。電子の場合は、電磁場を通じて周りの影響を受け、また影響を与えるわけだが、電子が十分に重いと考えてよいために電磁場の影響は瞬時に伝わると想定でき、おかげでずいぶん簡単になる。これは質量と結合の強さの兼ね合いで決まっている。結合が弱いときには電子は浅いポテンシャルのなかで大きく広がる。量子力学の原理にしたがって、広がった状態は運動量が小さいことを意味する。質量と比較して運動量が小さいということは速度が遅いわけで、電子は電磁場よりもずっとゆっくり動くわけだ。クォークとグルーオンの場合は、結合が非常に強いせいで、波動関数の広がりが小さく、運動量が大きい。いずれも軽い粒子なのでどちらも光速に近い速度で飛び回ることになるため、両者の波の方程式を連立して解かないといけなくなる。その分、普通の量子力学の問題よりもはるかに難しい話になる。

ただし、これはクォークとグルーオンの運動を解くのが難しい理由の第一ではない。もっと始末に悪いことが、量子色力学という法則のもつ特殊性からあらわれる。それは、力を伝える場としての役割をもつグルーオンが、それ自身も「電荷」をもち、さらに別のグルーオンを引き寄せるという点だ。電磁場のときは、電磁場自身(光のことだ)が電荷をもっているわけではないので、光と光は相互作用を起こさずにすり抜ける。グルーオンはそうではなく、その存在がまた別のグルーオンを作りだして、これがねずみ算的に続いていくことになる。だから、通常の量子力学のような問題設定をすることには無理がある。グルーオンをあらわす波は一つではなく、グルーオンがいくつもあらわれる場合も含めた数多くの波動関数を用意する必要があるためだ。こうなると、むしろ出発点から考え直したほうがよい。実際、そういう理論的枠組みが用意されている。「場の量子論」という理論では、粒子がいくつもあらわれ、生まれたり消えたりする状況を自然に扱うことができる。

場の量子論でも、クォークとグルーオンの波を考えることに違いはない。違うのは、粒子ごとに一つの波動関数を考えるのではなく、むしろあらゆる可能な波を同時に考えるという点だ。そのなかには、粒子が1つの場合も含まれるし、2つや3つの場合、さらにどう数えればいいかわからないような場合もすべて含まれる。これなら、グルーオンが勝手に増えてしまっても問題ない。実のところ、中間子のなかにグルーオンが何個あるのかというのは答えようのない問題で、いろんな場合がすべて重ね合わさって一つの中間子ができていると考えるべきなのだ。

では、場の量子論で、クォークとグルーオンの計算はどうやるのか。次回からそれを少しずつ考えてみたい。

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