難しい問題があったら、まずはそれをどこか一か所に押し込めるのが良い作戦だ。そこだけは後で考えることにして、話を先に進めることができる。それができるときは話がすこしすっきりする。できないときは、まだまだ長い話が待っている。
K中間子でCP対称性が破れるやり方について考えてきた。GIM機構を拡張した小林益川理論というのがあって、ボトム・クォークとトップ・クォークが存在することにすれば、理論のなかに複素数の位相を付け加えることができる。K中間子が反粒子と混合するときには、ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わる必要があるが、そういう過程は直接起こるわけではなく、途中にアップ、チャーム、トップ・クォークのどれかを経由することで起こる。GIM機構のときもそうだったが、これらの3つのクォークが同じもの、つまり質量が等しかったら、3つの遷移をあらわす波動関数がちょうど相殺して何も起こらない。自然界ではどういうわけかクォークの質量が異なるので、その差の分だけ余分が残り、これが混合を引き起こす。そして、そこに複素数の位相がからんでいたら、CP対称性の破れにもつながる。
複素位相は、3つめのクォークの組を持ち込んだときに初めてあらわれることを以前紹介した。このことを反映して、CP対称性の破れに特に関係するのは、トップ・クォークを経由する場合ということになる。ストレンジ・クォークがWボソンを放出してトップ・クォークに変わり、もう一度Wボソンを放出してダウン・クォークに変わる。この過程に複素位相があらわれる。あまったWボソンは、反ダウン・クォークがこの逆の過程を経て反ストレンジ・クォークに変わるときに吸収してもらう。これこそが、K中間子の混合でCP対称性が破れる現象の正体だ。
途中にあらわれたトップ・クォークやWボソンは、いずれもK中間子よりもずいぶん重い。100倍以上だ。ということは、これらの粒子は実際に出てくるわけではなく、量子力学の原理にしたがって仮想的にあらわれるだけだ。重い粒子はそれだけエネルギーも大きいので、仮想的とはいえどもごく短時間で消えるはずで、飛ぶ距離も非常に短い。K中間子の大きさの100分の1以下の長さでしかないわけだ。K中間子の中のどこか非常に狭い領域でこういう過程が静かに起こる。これが量子力学の不思議なところだ。
クォークがくっついてできてできているK中間子には大きさがある。陽子や中性子の大きさと同じで、およそ1フェムト・メートル。小さいとはいえ有限の大きさのなかで、クォークとグルーオンがうろうろ、あるいはふわふわしているというのが、そのイメージになる。クォークを結びつけているのは強い力の仕業だ。K中間子の大きさや、そのなかにクォークがどのように分布しているかも含めて、すべては強い力を解いてみればわかるはずだ。ふわふわ漂っているダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが、たまたま同じ点にきたときに、電光石火で上記の過程が起こって、反ダウン・クォーク とストレンジ・クォークに変わる。周囲をとりまくグルーオンは何もなかったかのようにそこにいる。
見てきたようなことを書いたが、これはもちろん単なる想像で、物理学がまともな学問である以上、ちゃんと計算ができないと先に進めない。中間子のなかでふわふわ漂っているダウン・クォークと反ストレンジ・クォークがたまたま同じ点にくる確率はどれくらいか、それを計算できないと、CP対称性の破れの大きさはわからないわけだ。これは強い力の問題で、これまでに話してきた弱い力とはまた別の話になる。弱い力の性質を理解しようとがんばってきたが、最終的にもっとも難しい問題は強い力だったということになる。
とは言え、われわれはラッキーだった。 いまの場合、難しい問題をK中間子のなかでダウン・クォークと反ストレンジ・クォークが出会う確率、という一つの問題にしてくくり出すことができたからだ。K中間子のCPの破れの問題は、そこを除けばおおよそ理解できたようだ。この簡単な問題だけは... 。
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