2020年9月21日月曜日

裏の世界と行ったり来たり

滑車の問題がきらいだった。いくつもの滑車を組み合わせて、なかにはぶら下げたりして複雑な問題を作った人はきっと意地悪なんだと思う。ややこしいだけで、本質を理解する役には立たない。 大学に入ってからラグランジアンを使う方法を知って、すべてが簡単になったので感激した。ラグランジアンを使うとあまりにすっきりするので、理論物理学者はあらゆる理論をラグランジアンを書くところから始めるのが普通になっている。ラグランジアンさえ書いてあれば、決まった手続きにしたがって運動方程式や保存量などがわかる。あとは何でもできるでしょ、というわけだ。だが、それだけでは現象を理解することにはならない。何が実際に起こるかは、その帰結をきちんと調べてみないとわからないのだ。

粒子と反粒子が入れ替わる過程の話をするんだった。中性K中間子には、ダウン・クォーク+反ストレンジ・クォークでできたものと、その反粒子、つまり反ダウン・クォークとストレンジ・クォークでできたものがある。この間を行き来するには、弱い力の「変身チケット」を使えばよい。ちょっと考えてみよう。クォークが反クォークに変わることはできないので、この過程が起こるには、ダウン・クォークがストレンジ・クォークに、そして同時に反ストレンジ・クォークが反ダウン・クォークに変わってくれればよい。こういう反応を起こす変身チケットはあるだろうか? 実はそれらしいものがある。変身チケットには、Wボソンの放出・吸収をともなうものの他に、中性のZボソンを出し入れするものもある。グラショウ・ワインバーグ・サラム模型という理論では、Wボソンだけは閉じた理論ができず、それに似た中性のZボソンが必要になるからだ。

前回、Wボソンとつながっているのはダウン・クォークとストレンジ・クォークをある割合で混ぜたものだという話をした。グラショウ・ワインバーグ・サラムの理論が正しいなら、Zボソンもこれと同じ混ざった状態に結びついているはずだ。この混合状態を分解してみると、確かにダウン・クォークがストレンジ・クォークに変わるチケットが含まれている。なるほど。Zボソンを介してダウンをストレンジに、反ストレンジを反ダウンに変えることで、中性K中間子の粒子・反粒子混合が起きるわけか。

うまくいっているように思えるこの考察は、残念ながら間違っている。このままだとK中間子混合が起きすぎるのだ。それだけではない。ストレンジ・クォークがダウン・クォークに変わる変身チケットはゼロではないかもしれないが、極めてレアでないといろんな実験結果と矛盾してしまうので、これをそのまま受け入れるわけにいかない。この問題は次のように解決された。ダウン・クォークとストレンジ・クォークをカビボ角の分だけまぜたものがWボソンやZボソンと結びついているという話はした。これと同時に、別のやり方で、つまりカビボ角とは直交する角度で混ぜた状態もWボソンやZボソンと結びついていると考える。そう考えた上で分解してみると、ストレンジ・クォークがZボソンを介してダウン・クォークに変わる過程はちょうど相殺することがわかる。つまりそんな変身チケットは存在しない。こうして、実験結果と矛盾しない理論ができあがることになる。

この仕組みを提唱したグラショウ・イリオプロス・マイアニの頭文字をとってGIM機構と名付けられたこの理論は、実験結果を説明できるだけでなく、一つの重要な帰結をもつ。ダウン・クォークとストレンジ・クォークをカビボ角とは直交した角度で混ぜた状態は、Wボソンを介してアップ・クォークと結びつくわけにはいかない。それだとせっかくのカビボの理論が台無しになってしまう。それなら、アップ・クォークではない別の何かに結びつくことにしておけばいいではないか。それをチャーム・クォークと呼ぶことにしよう。当時はまだ知られていなかったチャーム・クォークは、こうしてその存在が「予言」された。だが、唯一の理論だったわけではなく、数ある可能性の一つという位置付けであった。実際にチャーム・クォークが発見されたのはしばらくあとの話だ。

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